会津若松市: 小田山城

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概要・歴史・観光・見所
小田山城(会津若松市)概要: 小田山城は福島県会津若松市門田町に位置している中世の山城で、南北朝時代の南朝暦:正平9年/北朝暦:文和3年(1354)頃に芦名家7代目当主芦名直盛によって築かれたとも云われています(別説では承久4年:1222年に3代芦名光盛が築いたとも)。芦名氏は文治5年(1189)に発生した奥州合戦に従軍し、大功をたて、陸奥国会津四郡を与えられた佐原義連を初代とした大名ですが、詳細な記録が無く、実際、宗家が会津地方に土着したのは7代直盛という説が有力です。小田山城の中腹に境内を構えていた観音堂(宝積寺)は南朝暦:正平9年/北朝暦:文和3年(1354)に6代目当主芦名盛員の継室笹谷御前により創建され、文中2年(1373)には三浦小荒井入道に安堵状が発給されるなど、南北朝時代に入り芦名氏の活動が活発化しているのが判ります。

直盛が南朝暦:元中元年/北朝暦:至徳元年(1384)に黒川城(現在の鶴ヶ城)を築き居館を遷すと、以後、小田山城は黒川城の詰城として重きを成す事になり、その前年にあたる南朝暦:弘和3年/北朝暦:永徳3年(1383)には家臣である平田明範と富田祺祐に命じて小田山城を修築させています。永禄11年(1568)に16代当主芦名盛氏が向羽黒城(福島県大沼郡会津美里町)を築くと、詰城の機能が向羽黒城に遷った為、小田山城は廃城になったと思われます。

江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)では新政府軍によって小田山城があった小田山が占拠され砲陣を設けると、ここからアームストロング砲を鶴ヶ城本丸に向け撃ち込み会津藩の敗北を速めた要因の一つとなっています。現在は小田山公園として整備され主郭付近には会津藩家老職を務めたる丹羽能教田中玄宰の墓碑、中腹には芦名家3代から9代までの墓域である寿山廟、麓には芦名家10代から19代目の墓域である葦名家花見ヶ森廟、宝積寺や芦名盛氏の菩提寺である宗英寺など芦名氏縁の寺院が境内を構えています。

小田山城は標高371.7mの小田山と標高500m程の荒佐原山・青木山に渡って築かれた中世の山城で、小田山山頂付近に設けらた主郭を中心に平場12段と約1mの土塁で囲われた曲輪があり、最高所には物見櫓が設けられ、要所には堀切や虎口がありました。

小田山城:写真

小田山城
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