館薬師堂(会津若松市)概要: 館薬師堂は福島県会津若松市館馬町 に境内を構えている御堂で、境内は中世会津地方を支配した芦名家四天王の筆頭松本氏の一族である松本右馬允の居館、允殿館の跡地をされます。歴史上に松本右馬允は2人いて関係性は不詳、一人は享徳2年(1453)に一族である松本筑前に攻められ日光方面に逃れた後自刃。もう一人は明徳7年(1498)に芦名盛高(芦名家13代目当主)に攻められ討死、その後、館は廃城になったと思われます。江戸時代初期の慶長17年(1612)、会津藩主蒲生秀行が死去すると当地に境内を構えた菩提寺、弘真院に葬られ廟所(蒲生秀行廟)が設けられました。
跡を継いだ蒲生忠郷は、幼少(2歳)の頃病弱でしたが北山薬師堂で護摩祈祷を行い、その御利益によって元気に成長出来た事から、北山薬師を篤く信仰するようになり弘真院の境内に瑠璃光薬師堂を造営し、後に地名に因み館薬師堂と呼ばれるようになりました。現在行われている「二つ児参り」は忠郷が2歳の時に北山薬師に登拝した伝承に因むもので、2歳児の無病息災が祈願されます。
現在残されている館薬師堂は弘真院の主要御堂であると思われ、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行6間、張間4間半、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。若松三十三観音(城廻り三十三観音)第27番札所(御詠歌:舘の花 盛りの折りは よもの山 静かに雲も空に棚引く)。山号:妙覚山。院号:弘真院。宗派:真言宗豊山派。
館薬師堂の脇に建立されている御堂は若松三十三観音(城廻り三十三観音)第3番札所玉泉寺(廃寺・山号:円通山・宗派:真言宗・御詠歌:みたらしや 大悲の誓い 汲みて知る 玉の泉も 湧きて流るる)。
館薬師堂:上空画像
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