東山温泉(会津若松市・歴史):概要 東山温泉(福島県会津若松市)の開湯は天平年間(729〜749年)、行基菩薩が巡錫でこの地を訪れた際、三本足の烏に導かれて野猿が東山温泉に浸かっているのを発見したのが始まりと伝えられています。
中世に入ると東山温泉一帯が天寧寺の寺領となり「天寧寺の湯」と呼ばれるようになり、江戸時代に入ると会津藩の湯治場として整備され藩主の別荘である「新瀧」、藩の保養所である「きつね湯:現在の向瀧」、藩の座敷役場である「瀧の湯:現在の庄助の宿」などが設けられました。
江戸時代後期に製作された諸国温泉功能鑑(温泉番付)には「会津天仁寺の湯」として東之方前頭に格付けされ当時から広く知られた存在でした。
幕末には宇都宮城(栃木県宇都宮市)の攻防戦で手負いとなった新撰組の土方歳三が湯治に訪れており当時から傷や打ち身に効能があることが知られていました。
明治時代以降は全国的にも知られるようになり竹久夢二や与謝野晶子などの文人墨客が多数東山温泉に湯治に訪れています。
会津藩が行楽地として許可していた事もあり明治時代以降は数多くの芸妓が働くようになり最盛期には100名以上がいたとされ上山温泉(山形県上山市)、湯野浜温泉(山形県鶴岡市)と共に奥羽三楽郷に数えられました。現在も当時の名残が見られる温泉街の町並みを見る事が出来ます。
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