土湯温泉(福島県福島市)概要: 土湯温泉の開湯には諸説あり、一説には神話の昔、大穴貴命(大国主命と同神とされる。大国主命は国造りの神、縁結びの神、医薬・温泉の神、七福神の大黒様)が陸奥国視察の際、当地を訪れ荒川の畔を鉾で突くと不思議と霊泉が滾々と湧き出たと伝えられています。鉾で突いて湧き出た温泉だった事から「突き湯」と呼ばれるようになり何時しか「土湯」という地名になったとされます。
一説は推古天皇12年(604)、聖徳太子が全国の国府に自ら彫り込んだ尊像を祀る堂宇建立を目指し家臣を使わし当地方には泰川勝が派遣されましたが、志半ばにして重病となり寝込んでいると、夢枕に尊像が現れ、土川村には霊泉があり、湯浴びをすれば平癒するとの御告げを受けました。勝は重病を押し土川まで辿り着くと、尊像に告げらた通り霊泉を見つけ出し湯浴びをすると数日のうちに体も軽くなったと伝えられています。
歴史的には文治5年(1189)に編纂された「吾妻鏡」に土湯温泉と思われる記述がある為、最低でもそれ以前には広く知られていたと思われます。中世には吾妻山修験の拠点の1つとして多くの修験者が利用したとされ土湯温泉には里宮として熊野神社が勧請されています。
江戸時代に入ると二本松藩や代官所から開発保護され、特に福島代官池田新兵衛と大森代官鈴木兵十郎は土湯温泉の開発に尽力し興徳寺境内に顕彰供養碑が住民の手によって建立されています。平成11年(1999)に国民保養温泉地に指定。源泉は土湯温泉から2キロ先の荒川沿いのものを中心に数十箇所あり泉質も単純温泉の他、単純硫黄泉、重曹泉などがあります。
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