土湯八景(烏川の晴嵐)概要: 江戸時代から文化から文政年間(1804〜1831年)、土湯温泉は二本松藩(藩庁:二本松城)の支配下にあり、藩主も参加したとされる「土湯連」と呼ばれる俳句同人がありました。当時の土湯温泉では身分に関わらず多くの人達が俳句や和歌を楽しみ俳人なども輩出した文化的にも高い地域で、「土湯連」を中心に温泉街にある風景や景観、8ヵ所を選び出し俳句を詠んだのが「温泉八景」で現在の土湯八景の原形となりました。東鴉川は土湯温泉の中心を流れる荒川の支流で、堰堤などが造られていますが極めて自然に近い小川で、川岸には足湯が設けられています。「烏川の晴嵐」として「照り渡る日もななめして烏川 浪にたちそう橋はしらかな」と詠われています。
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