福島城概要: 福島城の最初の築城は不明ですが室町時代には大佛城(前身は杉妻寺と呼ばれる寺院で宝塔や板碑などが残されています)と称していました。当初は伊達氏の支城だったとされ、応永20年(1413)には伊達持宗と懸田定勝が反乱を起こし鎌倉公方と対峙したと言われています。その後、杉目城と改められるも引き続き伊達氏の重要な拠点の1つとして重臣が城代となり、伊達晴宗の隠居所にもなりました。天正19年(1591)、豊臣秀吉による奥州仕置きで伊達政宗が岩出山城(宮城県大崎市岩出山町)に移封となり、文禄元年(1592)に蒲生氏郷が領主になると信夫郡5万石は蒲生家の与力大名である木村吉清が派遣され、大森城から杉目城に居城を遷した際に福島城と改称します。
慶長3年(1598)に蒲生秀行が宇都宮城(栃木県宇都宮市)に移封になると、吉清は独立した大名に取り立てられ豊後国(現在の大分県)に遷り、代わって上杉景勝が会津若松城(会津若松市)に入り、重臣である本庄繁長を1万石で福島城に配しました。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは本庄氏側の兵力の20倍にあたる2万を超える伊達政宗本隊が福島城に侵攻しましたが、繁長はその猛攻を退けるなどの戦果をあげました。
上杉景勝が米沢城(米沢市)に移さされると、本多氏、堀田氏と領主が交替したものの城跡に陣屋を築く程度で本格的な城郭ではありませんでした。元禄15年(1702)に板倉氏が3万石で入封すると福島城は大改修され現在の福島市の根幹となる城下町も整備されました。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に属した為、敗戦後廃城となり板倉氏は三河(愛知県刈谷市:2万石で重原藩を立藩)へ転封させられました。
現在の福島城の本丸、二の丸付近は官庁街となり、平城だった事もありほとんど形状を留めていません。二の丸庭園の跡が旧状が最も感じられる場所で土塁の一部も見る事が出来ます。
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