【 概 要 】−板倉勝里は宝永3年(1706)に河内丹南の藩主高木正陳と本多正永の娘との子供として生まれました。享保3年(1718)福島藩の藩主板倉重泰が28歳で死去すると、板倉重矩の娘が高木正盛の正室だった縁で、勝里が養嗣子として入り板倉家の家督を継ぎ、福島藩の藩主に就任しています。享保11年(1726)から享保12年(1727)と享保13年(1728)から享保14年(1729)、享保18年(1733)から享保19年(1734)、元文元年(1736)から元文2年(1737)、寛保元年(1741)から寛保2年(1742)の合計5回大坂加番を担っています。又、福島城の修築や城下町の整備などに尽力しました。寛保3年(1743)死去。
板倉勝里は社寺の保護も行い、享保8年(1722)には鹿島神社(福島市鳥谷野)の社殿を造営、享保16年(1731)には黒沼神社に絵馬(松に梅花図:福島市指定有形民俗文化財)を奉納、元文5年(1740)には福島稲荷神社の社殿を造営しています。
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