松平定賢:概要

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概要・歴史・観光・見所
松平定賢(烏峠稲荷神社)

【 概 要 】−松平定賢は宝永6年(1709)に陸奥守山藩の藩主である松平頼貞と松本氏の娘との子供として生まれました。享保11年(1726)高田藩4代藩主松平定儀の養女(定儀の兄で高田藩2代藩主定逵の娘)の婿となり、享保12年(1727)定儀の死去に伴い定綱系久松松平家の家督(7代)を継ぎ高田藩5代藩主に就任しています。

寛保元年(1741)に白河藩11万石に移封になった際、領地は大きく白河周辺(白川郡、岩P郡、石川郡:6万石余)と伊達周辺(伊達郡、信夫郡:17カ村:2万520石)、越後国五郡(蒲原郡、三島郡、苅羽郡、魚沼郡、岩船郡:8万石余)の3地域に分れていた為、白河の小峰城(福島県白河市)を藩庁に定め、寛保2年(1742)には伊達郡周辺の行政拠点として保原陣屋(福島県伊達市)を設け、越後国五郡の行政拠点として今まであった扇町陣屋を廃止し新たに柏崎陣屋(新潟県柏崎市)を設けました(表高は11万石でしたが込め高5万石が加算され16万4千石余が認めらていました)。

延享3年(1746)には阿武隈川の埋もれ木と思われる銘木で制作した硯箱を時ので内大臣である烏丸光栄へ献上しています。明和元年(1764)には烏峠稲荷神社(福島県泉崎村烏峠地内)の社殿を修復、明和2年(1765)には真光寺(三重県四日市)に鐘楼堂を寄進しています。真光寺は明暦3年(1657)に定綱系久松松平家2代当主の松平定良が有馬温泉(兵庫県神戸市北区有馬町)の帰途で急死し、遺体を3日間安置した縁の寺院で旧領や本家筋にも配慮していた事が窺えます。明和7年(1770)死去、享年61歳、戒名:俊徳院殿無誉鎮岩二譲大居士。

烏峠稲荷神社:写真
松平定賢と縁がある烏峠稲荷神社 松平定賢と縁がある烏峠稲荷神社 松平定賢と縁がある烏峠稲荷神社 松平定賢と縁がある烏峠稲荷神社
小峰城:写真
松平定賢と縁がある小峰城(白河城) 松平定賢と縁がある松平定賢と縁がある小峰城(白河城) 松平定賢と縁がある小峰城(白河城) 松平定賢と縁がある小峰城(白河城)



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