保原陣屋(伊達市)概要: 保原陣屋は寛保2年(1742)に白河藩主松平定賢 により旧保原城の西側に築かれました(当時の白河藩は白河周辺の他、伊達郡や越後の柏崎周辺に飛び地があった為、伊達郡には保原陣屋、越後国には柏崎陣屋を設けてそれぞれの行政の拠点としました)。前身である保原城は中世、懸田氏の家臣中島氏によって築かれたのが始まりとされ、戦国時代、中島宗忠の代に伊達晴宗・輝宗に従い天正19年(1591)に政宗が岩出山城(宮城県大崎市岩出山)に移封になると保原城は廃城になっています。江戸時代に入ると上杉領となり小越清道などが領主として派遣され、 江戸時代中期以降の保原領(17村:2万石)は一時天領や白河藩(藩庁:小峰城)の飛地として推移し慶応3年(1867)からは棚倉藩(藩庁:棚倉城)に属し明治維新を迎えています。陣屋跡は公民館となった為、雰囲気は損なわれましたが、陣屋正門(伊達市指定有形文化財:入母屋、桟瓦葺、長屋門形式、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は板張)が近くにある長谷寺に移築されている他、陣屋通り向かいにはかつて陣屋に植えてあったという黒松と欅が現存しています。
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