梁川八幡神社(伊達市)概要: 梁川八幡神社は福島県伊達市梁川町八幡字堂庭に鎮座している神社です。梁川八幡神社の創建は平安時代の永観年間(983〜985年)に田原中納言勝稙が石清水八幡宮(京都府八幡市)を勧請したのが始まりとされます。その後、衰微しましたが、平安時代末期に奥州藤原氏第3代当主藤原秀衡が家臣である佐藤基治(大鳥城の城主)に命じて社殿の再建を図り、新たに三重塔を寄進しています。
当初は若宮八幡と称していましたが中世に入ると当地の領主で梁川城の城主である伊達氏の崇敬社となり、文治5年(1189)に伊達朝宗が鶴岡八幡神社(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請して若宮八幡と合祀すると亀岡八幡宮と改名しています。その後も伊達氏との繋がりが強く、境内には伊達政宗の正室愛姫をこの地で出迎えた場所や政宗が16歳の時家臣の隠居をおしとどめた逸話などが残っています。
天文17年(1548)に伊達稙宗が居館を桑折西山城(桑折町)へ移るとそれに随行し、米沢城(山形県米沢市)に移った元亀2年(1571)に現在地に再び遷宮し、天正10年(1582)に政宗が初陣祈願を行った神社としても記録が残っています。近世に入った慶長7年(1602)に山田清里、重之兄弟が御神体を仙台城下に遷し新たに亀岡八幡宮(宮城県仙台市)を創建しています。
一方、社殿自体は梁川に残り伊達66郷の総社として近隣からの信仰の対象となり、明治維新初頭に発令された神仏分離令後は別当だった龍寳寺から独立しています。
梁川八幡神社は現在でも形式上は寺院と分離していますが、境内には龍寳寺の別院である鬼石観音堂や平安時代末期に藤原秀衡の家臣佐藤基治が建立したという三重塔の礎石が残るなど神仏混合の名残が随所に見られます。
梁川八幡神社本殿は延享2年(1745)に建てられた古建築で木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅板葺き、桁行3間、張間2間、正面3間軒唐破風向拝付き、向拝の彫刻など凝った造りで、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和55年(1980)に伊達市(旧梁川町)指定有形文化財に指定されています。
梁川八幡神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行6間、外壁は真壁造板張り。又、隣接する龍寳寺の境内とあわせて昭和62年(1987)に福島県指定史跡及び名勝に指定されています。祭神:誉田別命。
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