南会津町: 鴫山城

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概要・歴史・観光・見所
鴫山城(南会津町)概要: 鴫山城は福島県南会津郡南会津町田島に位置している中世の山城です。築城当初の詳細は不明ですが中世南山一帯を支配した長沼氏が築城したと推定され、古文書によると長禄4年(1459)、山内氏(横田城の城主)と白川氏(白川城の城主)が鴫山城を攻略したと記されていることから少なくともこの年以前から存在したと思われます。一方、南北朝時代の南朝暦:正平7年、北朝暦:観応3年(1352)に長沼家の惣領家である長沼秀直が陸奥国会津南山長江庄会津田島に移住している事から、築城されたのはこの年以降という説や、応永年間(1394〜1428年)頃に築いたとの説もあります。周辺は芦名領に接していた事もあり何度も戦場となり永正18年(1521)には芦名氏が鴫山城を占拠しています。その後、長沼氏は芦名氏の軍門に下りますが、伊達氏の台頭する事で芦名氏の勢力が急速に衰退し天正17年(1589)摺上原の戦いで芦名氏が敗れると長沼盛秀は伊達氏に臣従します。天正19年(1591)、奥州仕置により伊達政宗が岩出山城(宮城県大崎市岩出山)に移封になると長沼氏はこれに従い、代わって蒲生氏郷が会津領主(鶴ヶ城の城主)となり、鴫山城には家臣である小倉行春(6千3百石)が配されています。慶長3年(1598)、上杉景勝が120万石で鶴ヶ城に入封すると鴫山城には上杉家の執政直江兼続の実弟大国実頼(2万1千石)が城代となり、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの前には東軍が会津西街道下野街道)を北上する事を想定し大改修が行われたと推定されています。関ヶ原の戦いで西軍の敗北が確定すると、景勝は米沢藩(山形県米沢市)に移封となり、代わって蒲生秀行が鶴ヶ城の城主に復権、同じく鴫山城も以前の城主小倉行春が配されています。寛永4年(1627)に蒲生家が改易となり、加藤嘉明が会津藩に入封すると、当地は幕府直領の天領となり、一国一城令が発令していた事もあり鴫山城は廃城となり麓に田島陣屋(代官所)が設けられています。

鴫山城は中世の山城として何度も戦場になるなど実践的な城郭で愛宕山の山頂から麓にかけて多くの郭が築かれ、地形を利用して空掘や土塁が配置されました。時代が下がると中腹に本丸(上千畳)が移され、それを囲むように二の丸(下千畳)、家臣屋敷など配し、大門左右には石垣が築かれました。標高750mの愛宕山山頂には旧本丸で現在は愛宕神社が鎮座しています現在でもそれらの遺構が比較的よく残り随所に城跡を見る事が出来、中世の山城の遺構として貴重な事から昭和57年(1982)福島県指定史跡に指定されています。又、鴫山城の旧城下町には長沼家の菩提寺である徳昌寺や祈願所の薬師寺、崇敬社だった田出宇賀神社が境内を構えています。

鴫山城:写真

鴫山城
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