小高城(南相馬市)概要: 小高城は福島県南相馬市小高区小高に位置する中世の城郭で、案内板によると「 小高城は、小高川の氾濫原に舌状にのびた台地の上にあり、その台地の頭部を切り空濠とし、四周を削り、濠及び池をめぐらし、頂には土塁を築いている。元亨3年(1323)4月、相馬重胤が下総国(今の千葉県)流山から移るにあたって、はじめ太田(現原町市)の別所館に住み、嘉暦元年(1326)この城に移った。建武3年(1336)に次子光胤に命じて修築させ、以後相馬氏の本拠として、南北朝の乱には北党の重要な位置を占めた。小高城攻防戦は相馬文書のほか、岡田・大非山・飯野文書などによって明らかである。慶長2年(1597)に相馬義胤が原町市の牛越城に移り、当城を支城としたが、同7年再びもどり、同16年(1611)に相馬利胤が相馬の中村城に移って廃城となった。城内の相馬小高神社は相馬氏代々の守護神である妙見を祀った社で、相馬三妙見のひとつに数えられ、「相馬野馬追」の野馬懸はここで行われる。なお、小高城は別名紅梅山浮舟城とも称されおり、本県の中世城郭として注目すべきものである。 福島県教育委員会」とあります。
小高城は標高20m程度の丘の上に築かれた平山城で、東西180m、南北130m、主要な郭は本丸(東西120m、南北80m、地形に沿った三角形の地形、周囲は高さ2〜3m、基底部2〜10mの土塁が廻っています)、北二ノ丸、南二ノ丸、馬場から構成されていました。
本丸東側から弁天池に到道が大手道と考えられ、入口部は虎口だったと推定されています。小高城は郭の形状や土塁や空堀、水堀(弁天池)などの一部の遺構が見られ城域全体が昭和33年(1958)に福島県指定史跡となっています。又、城跡からは金箔や朱で塗られた鯱の破片が発見されており、貴重な事から名称「小高城跡採集金鯱片」として平成11年(1999)に南相馬市指定有形文化財に指定されています。
小高城:上空画像
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