南相馬市: 鹿島御子神社

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概要・歴史・観光・見所
鹿島御子神社(南相馬市)概要: 鹿島御子神社は陸前浜街道沿いの旧鹿島宿に鎮座している神社です。案内板によると「神代の昔、天足別命が父神建御雷神(鹿島神宮の祭神)と供に奥羽鎮撫の為に下降し、開発平定に尽されて後御子神がこの地に鎮まう今の社地に移り社殿を造営す。延喜5年に由緒ある霊験あらたかな神社として延喜式神名帳に記載される。醍醐正体を納められ延喜式内社に列せられる。天暦5年のお棟札や現存する大欅(樹齢千年余り)からその由緒正しきを知る事が出来る。」とあります。

天足別命が鹿島御子神社を創建した後の景行天皇の時代に、東夷東征で当地まで進軍してきた日本武尊は当社に参拝し武運長久を祈願し、その霊験に肖り見事蝦夷を掃討する事が出来たとされます。この伝承から、鹿島御子神社は勝負事に御利益がある軍神として武家からの崇敬を受けるようになったと伝えられています。ここで不思議なのは社頭掲示板では景行天皇の御代を西暦428年としている事で年号を明確にしているのは何か根拠があるのでしょうか。記紀を素直に解釈すると景行天皇40年を西暦110年となる為、同じ由緒でも2つの説がある事になります。南相馬市に鎮座する延喜式神名帳に記載された式内社である鹿島御子神社をはじめ益多嶺神社、多珂神社、冠嶺神社、日祭神社は何れも日本武尊の伝承が残されています。現実的には、その全てに尊が関わるのには不可能に近く疑問が残りますが、それだけ尊の存在が強く意識された地域だったのかも知れません。

一方、鹿島御子神社の鎮座地は、近代に陸前浜街道と呼ばれる街道沿いにあり、尊の東征経路が太平洋の沿岸を北上した事を補完しています。社号の通り当社の祭神は鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中)の祭神である武甕槌大神の御子神である天足別命で、伝承によると天足別命が鹿島の稚児沼の仮宮に鎮座していた際、当地方には大六天魔王と呼ばれる賊徒が周辺住民に対して横暴を働きこともあろうか仮宮に火を放ちました。仮宮に火がかかる刹那、天足別命が天に念じると火は四散し、さらに鹿島神の遣いである鹿が突如出現し川水で濡らした笹で仮宮を覆い火防の術を施しました。この伝承を再現したのが特殊神事である「鎮火祭」で現在でも毎年1月14日には「火伏祭」 、1月15日には「天燈籠祭」が開催され今年の火伏祈願が行われます。

大同元年(806)に現在地に遷座し、延喜5年(905)に官社に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されています。江戸時代に入ると中村藩の藩主相馬家から崇敬庇護され寛永13年(1635)には相馬義胤が社殿の修復が行われ、慶安2年(1649)には相馬義胤が社殿を造営、文政7年(1825)には相馬益胤が社殿を再建しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治9年(1876)に村社、明治22年(1889)に郷社、大正15年(1926)に幣帛供進使指定社に指定されています。

鹿島御子神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺、桁行3間、外壁は真壁造板張りの建物で、正面には1間の唐破風付きの向拝が付いています。本殿は1間の銅板葺きの流れ造りで華美な装飾を排除した質実な印象を受けます。境内にある2本の大欅は推定樹齢1000年と800年され、2本ある事から「夫婦欅」と言われ縁結びに御利益があると信仰されています。大欅は推定樹齢300年(案内板では1000年)、樹高46m、幹周8.0m、市内を代表する古木で貴重な事から昭和48年(1973)に南相馬市指定天然記念物、福島県みどりの文化財に指定されています。祭神は天足別命(武甕槌神の御子神)・志那都比古命・志那都比売命。

鹿島御子神社:写真

鹿島御子神社
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