田島陣屋(南会津町)概要: 田島陣屋は福島県南会津郡南会津町田島字後原甲に位置し、案内板によると「 南山御蔵入5万5千石の地は、寛永20年(1643)幕府領となり、その支配の中心は田島村におかれた。幕府直支配の元禄年間に建てられた田島陣屋は、享保の絵図によると、役場庁舎の西側に見える。預り支配を行った会津藩は、寛政2年(1790)に中町陣屋を役場庁舎東側に建てた。幕末の慶応元年(1865)、戊辰戦争に備え、中町不動様わきに後町陣屋を新たに建てた。このように田島陣屋の位置は3度変遷した。 田島町」とあります。
当地は中世から江戸時代初期まで鴫山城が軍事、行政の中心的な施設でしたが、寛永4年(1627)に加藤嘉明が会津藩(藩庁:鶴ヶ城)に入封すると一国一城令が既に発令され、幕府直轄領になった事もあり、鴫山城は廃城となりました。
しかし、田島の地は会津西街道(下野街道)から沼田街道が分岐する交通の要衝でもあった為、宿場町である田島宿が整備され引き続き行政の中心として天領陣屋が設けられました。
歴史的舞台になったのは幕末に発生した戊辰戦争(会津戦争)の際で、当初は会津軍、旧幕府軍が会津西街道を北上する新政府軍を食い止める拠点として利用され慶応4年(1868)閏4月4日には田島陣屋で軍の再編成が行われています。新政府軍が山王峠を越えると、会津軍と旧幕府軍は大内宿まで撤退、以後、田島陣屋は新政府軍の拠点として利用されています。
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