福島市: 大森城

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概要・歴史・観光・見所
大森城(福島市)概要: 大森城の築城年は不詳ですが承正3年(1506)大森城(福島市)常光寺が大森城城下町に建立されたという資料から、それ以前にはすでに存在していたと考えられています。さらに遡る南北朝時代には佐藤十郎左衛門盛衡という国人領主が大森に在していた事から源義経の家臣として知られた佐藤氏(大鳥城の城主)と関係が深かったと思われます。戦国時代に入ると伊達領に組み込まれ、伊達家14代当主伊達稙宗の3男である伊達実元が配されています。天文11年(1542)に発生した天文の乱では実元は稙宗方に与した為、大森城は稙宗方の拠点として利用されています。天文の乱が伊達晴宗方の勝利で終結すると、実元は晴宗に従い引き続き大森城の城主を任され、天正12年(1548)には後に伊達政宗の片腕となる伊達成実に家督を譲っています。天正14年(1586)に成実が二本松城福島県二本松市)に移封になると、同じく政宗の片腕となる片倉景綱が入っている事からも大森城は伊達氏の重要拠点の1つとされました。当地は後の奥州街道と会津若松城福島県会津若松市)や米沢城(山形県米沢市)の城下に続く街道が交わる交通の要衝として重要視され、天正19年(1591)に蒲生氏郷が会津若松城の城主になると、蒲生家の与力大名である木村吉清が大森城に配されています。吉清は行政を行うには有利な福島城に居城を遷した事で一時廃城となりますが、上杉氏が領主になると再び重臣の栗田国時を城主にして城郭の再整備を行い信夫郡の中心地としました。寛文4年(1644)に上杉氏がお家騒動の為、30万石から15万石へ減封されると信夫郡は天領となり、大森城は廃城となっています。

大森城は頂上部に設けられた主郭(本丸)を中心に北館、南館と大きく3つの郭で形成され随所に土塁や空堀が設けられ、麓には水掘や城下町が構えられていました。現在は城跡周辺が整備され公園となっていますが、郭の形状や土塁の一部空掘の跡などが遺構として残っています。

大森城:写真

大森城
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