福島市概要: 福島市は縄文時代から大規模集落がある肥沃な土地として栄えた所で、古代には福島市一帯が岑越と呼ばれ中央と多賀城(宮城県多賀城市)を結ぶ街道である東山道の駅(馬を乗り継ぐ場所)として重要な位置を占めてきました。
陸奥国が肥大化すると福島市や伊達市、会津地方が石背国として立国しますが北方に治安が悪化すると再び陸奥国に編入され周囲は信夫郡となります(後年、伊達郡が出来分裂)。
平安時代末期になると平泉(岩手県平泉町)を本拠としていた奥州藤原氏が勢力を伸ばし福島市を含む中通地方は家臣である信夫佐藤氏が支配します。佐藤氏は奥州藤原氏の血縁だったとされ、源義経が平家追討の兵を挙げると佐藤継信、忠信兄弟を従軍させ家臣として非業の死を遂げました。その為、源頼朝が義経追討の積から発した奥州合戦では兄弟の父である佐藤基治が追討軍と対峙し石那坂の戦い(福島市清水町)で敗退し大鳥城(福島市飯坂)も落城しています。
中世後期に入ると伊達氏の支配化となり古代から交通の要所だった事などから大森城が重要拠点の1つとなります。天文11年には伊達家の家督争いから発した天文の乱が起こり大森城も主戦場として戦乱に巻き込まれていきます。
その後は伊達家重臣の伊達成実や片倉景綱などの重臣が城主を歴任しますが豊臣秀吉による奥州仕置きにより伊達政宗が本拠だった米沢城(山形県米沢市)から岩出山城(宮城県大崎市岩出山)に移され、福島市を含む信夫郡は蒲生氏が支配(居城を大森城から福島城へ移す。)する事になります。
戦国時代末期からは上杉領に属しますが寛文4年(1664)の上杉家の跡目相続の不備により30万石から15万石へ減封され信夫郡は天領となります。延宝7年(1679)に本多忠国が15万石で入封し福島藩を立藩して現在の福島市の祖となるような城下町の建設を始め、貞享3年(1686)には山形城(山形県山形市)から堀田正仲が10万石で入封、元禄15年(1702)には板倉重寛が3万石で藩主となっています。戊辰戦争時には白石城(宮城県白石市)で調印された奥羽越列藩同盟に参加し敗戦して明治維新を迎えます。
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