南会津町(歴史)概要: 南会津町田島は古来から交通の要所として重要視され中世以降は長沼氏の居城である鴫山城の城下町として発展しました。
長沼氏は鴫山城中腹に家臣を住まわせ田出宇賀神社や愛宕神社を勧請するなど城下町を整備し南会津郡一帯を領するまで成長します。戦国時代には大大名である伊達氏、蘆名氏の領地と接していたことで南会津町周辺も戦場となり次第に伊達氏に従属する事になります。
奥州仕置きにより伊達氏が領地替えになると長沼氏もそれに従い、南会津町は蒲生氏、上杉氏、加藤氏と次ぎ次ぎと領主が変わり不安定な領土経営となります。寛永20年(1643)に幕府領となり、田島は南山御蔵入5万5千石の中心として陣屋が置かれ、3度陣屋の位置が変わるものの領内の政治、経済、軍事を司り明治維新を迎えます。
特に会津西街道(下野街道)が開削されると、沼田街道との分岐点という交通の要衝だった事から宿場町である田島宿が設置され、明治時代初期にはイギリス人女性紀行家イザベラバードも田島宿を利用しています(南会津町には田島宿の他、川島宿、糸沢宿が設置されていました)。
明治維新後も旧南会津郡役所が置かれるなど南会津郡の中心としての立場は変わらず現在に至っています。
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