飯野八幡宮

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概要・歴史・観光・見所

飯野八幡宮(いわき市)概要: 飯野八幡宮は福島県いわき市平八幡小路に鎮座している神社です。創建には諸説あり、一説には康平6年(1063)に前九年合戦の折、源頼義が戦勝祈願の為、石清水八幡宮(旧男山八幡宮:京都府八幡市)を勧請した事が始まりとされ、もう一説には文治2年(1186)に源頼朝の命により石清水八幡宮の分霊を勧請し赤目崎物見岡(現在の平城跡地)に社殿を造営し好嶋荘の総社としたとも云われています。又、好嶋荘の記録的初見が元久元年(1204)に八幡宮領好嶋荘田地目録注進状写で「八幡宮御領好嶋御庄」とあり、少なくともこれ以前から祀られていた事が窺えます。

建永元年(1247)には鎌倉幕府執権の北條時頼の命により伊賀光宗を好嶋荘の領主兼神主としてこの地に派遣し、その後裔は地名から飯野氏と改姓しながらも代々神主職を歴任しています。伊賀光宗は鎌倉幕府の有力御家人で政所執事などの要職を歴任し、姉妹(伊賀の方)が2代執権北条義時の後室になるなど幕府中枢にも近い存在でした。

元仁元年(1224)に義時が死去すると次期(第4代)征夷大将軍と目された藤原頼経と後継人の北条泰時を廃して、一条実雅と北条政村を擁立しようと画策、所謂「伊賀氏の変」を起こしましたが、発覚し光宗は信濃国、実雅は越前国に流罪となっています。 光宗は嘉禄元年(1225)に北条政子が死去すると復権、寛元2年(1244)には評定衆に就任し、「吾妻鏡」には乱に伊賀氏が関わったと記していない事から北条政子がでっち上げとの説もあります。

伊賀光宗の最盛期には甲斐国岩間牧、常陸国塩籠荘、陸奥好島荘、若狭国日向浦、但馬国広谷荘、備前国則安名などを所領し後裔は岩城国好島荘西方預所職に就任している事から、飯野八幡宮の由緒に合致します。伊賀氏の後裔である飯野氏は室町時代に飯野郷の地頭として一定の勢力を保持していましたが、次第に飯野八幡宮の神官に落ち着いたようです。

鎌倉時代は飯野氏が中心となり社殿の造営や鳥居の建立などを行いましたが、南北朝時代に飯野氏は没落し、その兵火により八幡宮の社殿も焼失し衰微します。建武2年(1335)に足利尊氏の許可を得て社殿が修復され再興し、周辺を支配した岩城氏の崇敬社となり、社領や社殿の造営など多く奉納物が寄進され、菊田・磐崎・磐城・楢葉・標葉の岩城五郡の総鎮守としても多くの民衆から信仰の対象となりました。

【 江戸時代以降の飯野八幡宮 】-慶長5年(1600)、関が原の合戦時岩城氏は親戚筋である佐竹氏と行動を共に東西中立だった為、一時改易となり後に亀田藩(秋田県由利本荘市岩城亀田)2万石の大名に復権して国替えとなります。岩城氏が当地から去ると慶長7年(1602)に鳥居忠政が入封し磐城平藩を立藩(岩城氏縁の岩城が気に入らなかった為に地名を磐城に改称)、本城として磐城平城を築城する際に、飯野八幡宮の境内と城域が被った為、現在地に遷宮します。鳥居氏の崇敬は篤く、慶長19年(1614)の火災で焼失後の元和2年(1616)には社殿を再建しています。

飯野八幡宮は江戸時代に入ると、幕府から社領を400石、藩主から50石の寄進を受け、当時は神仏混合だった為、16の寺院を遵える壮大な境内だったそうです。明治初頭に発令された神仏分離令により、寺院や阿弥陀堂、釈迦堂などの仏教の要素が強いものが除かれ現在に近い形態となり社名も飯野八幡神社に改称(昭和36年:1961年に飯野八幡宮に改称)し明治6年(1873)に県社に列しています。祭神:品陀別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、比売神(仲姫命)。

飯野八幡宮随身門(神社山門)は江戸時代初期の万治元年(1658)に建てられたもので、入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、木部朱塗り(彫刻部:極彩色)、上層部には高欄が廻り、下層部両側には随神が安置、江戸時代初期の楼門建築の遺構として大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。飯野八幡宮には古建築物が多く、随神門以外に本殿と唐門、神楽殿、若宮八幡神社、仮殿、宝蔵が国指定重要文化財、拝殿と幣殿がいわき市指定有形文化財に指定されています。

飯野八幡宮建築文化財一覧
・ 本殿-元和2年-入母屋,こけら葺き,3×3間,極彩色-国指定重要文化財
・ 随神門-万治元年-入母屋,銅板葺,楼門,三間一戸,極彩色-国指定重要文化財
・ 唐門-元禄16年-平唐門,一間一戸,銅瓦棒葺-国指定重要文化財
・ 神楽殿-元和9年-入母屋,鉄板葺,2×2間,格天井-国指定重要文化財
・ 若宮八幡神社-元和5年-流造,瓦棒葺,1間社,前殿付-国指定重要文化財
・ 仮殿-寛文13年-流造,鉄板葺,1間社,素木-国指定重要文化財
・ 宝蔵-江戸初期,寄棟,瓦葺,3×2間,土蔵,白漆喰-国指定重要文化財
・ 拝殿-元禄16年-切妻,こけら葺き,5×2間,唐破風,彫刻-いわき市指定文化財
・ 幣殿-元禄16年-切妻,こけら葺,向唐破風-いわき市指定有形文化財

飯野八幡宮の文化財
・ 大薙刀(銘)備州長船住盛景−国指定重要文化財(工芸品)
・ 常滑大壺−福島県指定重要文化財(工芸品)
・ 絵馬双鷹図−福島県指定重要有形民俗文化財
・ 絵馬引馬図−福島県指定重要有形民俗文化財
・ 飯野八幡宮の流鏑馬と献饌−福島県指定重要無形民俗文化財
・ 源為朝の図額−いわき市指定有形文化財(絵画)
・ 絵馬:渡辺綱の図−いわき市指定有形文化財(絵画)
・ 飯野八幡宮神輿−いわき市指定有形文化財(工芸品)
・ 猿田彦面−いわき市指定有形文化財(工芸品)
・ 飯野八幡宮射具記−いわき市指定有形文化財(書籍)
・ 飯野八幡宮簾帳賛并序−いわき市指定有形文化財(書籍)
・ 飯野八幡宮の流鏑馬の用具類及び献饌の祭器-いわき市有形民俗文化財

飯野八幡宮:上空画像

唐門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-いわき市教育委員会


飯野八幡宮:ストリートビュー

飯野八幡宮:社殿・境内・写真

飯野八幡宮朱色の大鳥居越に見える随身門
[ 付近地図: 福島県いわき市 ]・[ いわき市:観光 ]・[ 福島県:神社 ]
飯野八幡宮神橋越に見える壮麗な楼門 飯野八幡宮参道石畳みの奥に見える質実な唐門 飯野八幡宮拝殿から大きく張り出した唐破風の向拝 飯野八幡宮本殿と幣殿、それを囲う透塀
飯野八幡宮の境内に設けられた重みのある神楽殿 飯野八幡宮宝蔵は土蔵造りの重厚な建物 飯野八幡宮の境内社である若宮八幡神社の社殿 飯野八幡宮本殿が改修の際、祭神が遷座する仮殿

飯野八幡宮:歴史的建造物

飯野八幡宮の大型本殿の画像本殿
・飯野八幡宮本殿は江戸時代初期の元和2年(1616)に造営されたもので、木造平屋建て、三間社入母屋造、平入、こけら葺き、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、木部着色、彫刻部極彩色仕上げ。江戸時代初期の大型本殿建築の遺構として大変貴重な存在。国指定重要文化財。
若宮八幡神社若宮八幡神社
・若宮八幡神社は飯野八幡宮の摂社で、本殿向かって右側に鎮座しています。社殿は江戸時代初期の元和5年(1619)に造営されたもので、一間社流造、瓦棒葺き、外壁は真壁造り板張り、正面は1間切妻向拝付き、床面積16.47u。国指定重要文化財。
仮殿仮殿
・仮殿は本殿向かって左側に位置し、若宮八幡神社と対になっている関係です。本殿で工事が行われた際には祭神が遷され仮本殿の役割を持ちました。現在の建物は江戸時代初期の寛文13年(1672)に造営されたもので、一間社流造、銅板葺き、外壁は真壁造り板張り。国指定重要文化財。
神楽殿神楽殿
・飯野八幡宮神楽殿は唐門の向かって右側に位置しています。建物は、江戸時代初期の元和9年(1623)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、桁行2間、張間2間、外壁は柱のみ四方吹き放し。毎年行われる秋の例祭の際には浦安舞が奉納されます。国指定重要文化財。
唐門唐門
・唐門は楼門(随身門:神社山門)と社殿(拝殿・本殿)を結ぶ参道に位置している建物で、神域を示す重要な要素の一つとなっています。建物は江戸時代中期の元禄年間(1688〜1704年)に造営されたもので、一間一戸、銅瓦棒葺、平唐門形式、国指定重要文化財。
楼門楼門
・飯野八幡宮楼門は江戸時代初期の万治元年(1658)に造営されたもので、入母屋、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部朱塗り、左右には随神像が安置、上層部高欄付き、国指定重要文化財。
宝蔵宝蔵
・宝蔵は飯野八幡宮の例祭などで利用される神具などを収蔵する施設です。現在の建物は江戸時代初期に建てられたもので、土造平屋建、寄棟、本瓦葺き、平入、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁、国指定重要文化財。貴重な社宝を所蔵する為に防火建築が望まれたと思われます。
拝殿拝殿
・飯野八幡宮拝殿は江戸時代中期に造営されたもので、木造平屋建て、切妻、平入、こけら葺き、正面千鳥破風、桁行6間、張間2間、正面1間唐破風向拝付き、背後に幣殿付き(平面的には拝殿と幣殿がT字形)、外壁は真壁造板張り、いわき市指定有形文化財。


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