大国魂神社(いわき市)概要: 大国魂神社は福島県いわき市平菅波宮前に鎮座している神社です。大国魂神社の創建は不詳ですが平安時代初期の大同2年(807)に坂上田村麻呂が東夷東征の為当地まで進軍してきた際、戦勝祈願を行い、見事念願成就すると社殿を再建したとの伝承が残されています。
この伝承が事実とすれば平安時代には既に鎮座していた事になる為、それ以前の養老2年(718)に石城国が建国した前後に石城国造である建 許呂命が大国魂神社を勧請したと考えられます。大国魂神社の近くには甲塚古墳(国指定史跡)があり、古代は当地が周辺地域の中心的な役割を持っていたと推定されます。
石城国は菊多郡、石城郡、標葉郡、行方郡、宇太郡、曰理郡の6郡により構成されていたものの養老4年(720)から神亀元年(724)間に陸奥国に吸収合併されましたが、大国魂神社は引き続き存続し祭祀が行われていたようです。
延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された岩城郡七座(式内社)の1つとして崇敬を集め、歴代領主の崇敬社として社領や社殿の造営などの寄進が行われ、大永2年(1522)には当時の大館城主だった岩城由隆によって社殿の大造営が行われました。
大国魂神社は慶長6年(1600)の関ヶ原の戦いで領主である岩城氏は本家である佐竹氏に同調し東西中立を計った咎により当地を去り庇護が失われましたが、江戸時代に入ると歴代磐城平藩(藩庁:磐城平城)の藩主から庇護され、延宝7年(1679)には内藤義概が社殿を再建、元禄7年(1694)には内藤義孝が屋根の補修、元禄14年(1701)には社殿の改修が行われています。
社運も隆盛し、元冶2年(1865)には朝廷より「勅宣正一位」の神階を授かり、往時は神官、巫女など20数人が奉仕していました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治12年(1879)に郷社、大正12年(1923)に県社に列しました。
現在の大国魂神社本殿は延宝7年(1679)に磐城平藩の藩主内藤義概によって造営されたもので、入母屋、銅板葺き、平入、桁行き3間、梁間2間、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から軒札7枚と共に、平成16年(2004)いわき市指定有形文化財(建造物)に指定されています。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り、唐破風懸魚、向拝木鼻、欄間には龍の精緻な彫刻が施されています。大国魂神社は社宝も多数保持していて特に国魂文書一巻は貴重なものとされ昭和30年(1955)に福島県指定重要文化財(書籍)となっています。祭神:大己貴命、事代主命、少彦名命。
大国魂神社の文化財
・ 国魂文書(23通の他1通)−鎌倉〜南北朝時代−福島県指定文化財
・ 磐城大国魂神社のお潮採り神事−福島県指定重要無形民俗文化財
・ 大和舞-三番叟,三本剣,猿田彦舞,恵比寿舞など-いわき市指定無形民俗文化財
・ 大國魂神社社叢-スダジイ,アカガシ,タブノキなど-いわき市指定天然記念物
・ 大国魂神社本殿-延宝7年-いわき市指定文化財
大国魂神社:上空画像
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