八葉寺

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概要・歴史・観光・見所

八葉寺(会津若松市)概要: 諸陵山八葉寺は福島県会津若松市河東町広野冬木沢に境内を構えている真言宗室生寺派の寺院です。八葉寺の創建は康保元年(964)に高僧空也上人がこの地を訪れた際、阿弥陀仏と経典を納めた堂宇を建立したことが始まりとされます。空也上人は周囲の供養されていない遺骸や遺骨を集め境内に供養した事から八葉寺は会津総菩提所、会津の高野山などの別名をもち信仰の対象となりました。

八葉寺には遺骨の一部や爪や歯を木製の小さな五輪塔に入れて八葉寺奥の院に納めるといった風習(冬木沢参りの習俗)も空也上人の行為を模したものとされ昭和56年(1981)に国指定重要有形民俗文化財に指定されています。

八葉寺は中世、芦名氏の庇護となり住職も芦名氏一族から迎えた事で寺運も隆盛しましたが、天正17年(1589)に伊達政宗との戦乱に巻き込まれ、伊達勢の焼き討ちにより堂宇が焼失し衰微します。

その後、文禄年間(1592〜1596年)に再建されたのが現在の阿弥陀堂(本堂)で、建築は木造平屋建て、入母屋、茅葺、妻入、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り板張り、丸柱、正面中央には「諸陵山」の山号額が掲げられ、鰐口が吊り下げられています。八葉寺阿弥陀堂は室町時代末期の禅宗様御堂建築の遺構として大変貴重な事から明治37年(1904)に旧国宝、昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定されています。

その他八葉寺の境内には空也上人が杵で突き掘りあてた清水(空也清水)や猪苗代勢武将等の供養碑群や観応の碑(会津若松市指定文化財)、奥の院(本尊:阿弥陀如来・お塔婆納め所、木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行3間、桁行3間、外壁は真壁造り板張り)、閻魔堂(十王堂:木造平屋建て、宝形造、桟瓦葺き、桁行2間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り)があります。

さらに、開山堂(空也上人の木像安置、木造平屋建て、宝形造、桟瓦葺き、桁行2間、張間2間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り)、仁王門(入母屋、鉄板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門、外壁は真壁造り板張り、左右には素朴な仁王像安置、奉納された大草鞋が掲げられています)、鐘楼(切妻、桟瓦葺き、外壁は柱のみの吹き放し)などの史跡や名勝があります。山号:諸陵山。宗派:真言宗室生寺派。本尊:阿弥陀如来。

八葉寺の文化財
・ 八葉寺阿弥陀堂−文禄年間、入母屋、茅葺、三間四面−国指定重要文化財
・ 八葉寺奉納小型納骨塔婆及び納骨器−国指定重要有形民俗文化財
・ 空也念仏踊−毎年8月8日奉納−福島県指定重要無形民俗文化財
・ 冬木沢参りの習俗−記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
・ 観応の碑−文和2年,高さ180p,幅115p-会津若松市指定有形文化財

八葉寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会


八葉寺:ストリートビュー

八葉寺:阿弥陀堂・奥之院・写真

八葉寺阿弥陀堂を左斜め正面から撮影した画像
[ 付近地図: 福島県会津若松市 ]・[ 会津若松市 ]・[ 福島県:寺院 ]
八葉寺境内正面から見た歴史が感じられる山門(仁王門) 八葉寺に奉納された大草鞋越に見える境内の様子 八葉寺境内の池越から写した、苔むした宝篋印塔とその奥に見える阿弥陀堂 八葉寺阿弥陀堂正面とそれに昇降する石段と左右の石燈籠
八葉寺阿弥陀堂のその背後に建立されている墓碑群 八葉寺奥之院の茅葺屋根に植物が覆われている渋い画像 八葉寺阿弥陀堂の左側に設けられた空也上人を祭る開山堂 八葉寺境内に集められた歴史の重さを感じさせる猪苗代勢武将等の供養碑群
八葉寺を空也上人が開山した際、閼伽水を得る為に独鈷杵を突いて湧き出た空也清水 八葉寺境内に時を告げる鐘楼と銅鐘 八葉寺に建立されている石碑と石仏 八葉寺の阿闍梨深泉が父郎満の菩提の為に建立した観応の碑


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