会津若松市: 興徳寺

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概要・歴史・観光・見所
興徳寺(会津若松市)概要: 瑞雲山興徳寺は福島県会津若松市栄町に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。興徳寺の創建は鎌倉時代の弘安10年(1287)、中世長く会津地方を支配した芦名家の5代当主芦名盛宗が鏡堂覚円大和尚(勅謚大円弾師)を招いて開かれたと伝えられています。伝承によると、大円弾師が巡錫で会津地方を訪れた際、当地から紫雲が棚引くのを見つけ、瑞相であると悟り山号を「瑞雲山」と定め興徳寺を開山したと伝えられています。芦名氏の庇護もあり、その後の興徳寺の寺運は隆盛し、境内には七堂伽藍が整備され、多くの末寺を擁し、広大な寺領を領し、室町時代末期の永禄元年(1588)に臨済宗妙心寺派に改めています。天正17年(1589)、摺上原の戦いで当時の当主芦名義広が伊達政宗に敗れ、常陸(現在の茨城県)に逃れると、政宗は芦名氏の本城である黒川城(現在の鶴ヶ城)に入らず興徳寺を仮館とします。天正18年(1590)、奥州仕置きの為、会津に入った豊臣秀吉は興徳寺に入り奥州大名の処遇を定めています。伊達政宗による摺上原の戦いは惣無事令違反となり会津を離れる事になり、代わって会津に入封した蒲生氏郷は興徳寺に対して寺領200石を安堵し、新たな城下町の町割りに際しても、唯一鶴ヶ城の郭内に残されています。文禄4年(1595)、伏見の蒲生屋敷において氏郷が病死すると遺骸は大徳寺黄梅院(京都府京都市北区紫野)に葬られ、翌年、跡を継いだ蒲生秀行が興徳寺に遺髪を納め墓碑(五輪塔)を建立しています。江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)の兵火により多くの堂宇、記録、寺宝が焼失し大きな被害を受けています。

蒲生氏郷五輪塔は会津若松市指定文化財に指定されています。阿弥陀如来像供養碑は室町時代に制作されたと推定されるもので、安山岩製、高さ0.85m、厚さ0.15m、上幅0.3m、下幅0.5m、上部には種子、中央には阿弥陀如来が結跏趺坐、昭和54年(1979)に会津若松市指定文化財に指定されています。若松三十三観音(城廻り三十三観音)第1番札所(札所本尊:聖観音菩薩・御詠歌:有漏路より 無漏路に参る 身のすえは 仏の誓い 興福の寺)。会津二十一地蔵尊第8番札所(札所本尊:福分地蔵尊)。山号:瑞雲山。宗派:臨済宗妙心寺派。

興徳寺:写真

興徳寺
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