会津若松市: 西軍墓地

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概要・歴史・観光・見所
西軍墓地(会津若松市)概要: 西軍墓地は福島県会津若松市大町西軍墓地(会津若松市)に境内を構えている東明寺の墓地にあります。江戸時代末期の慶長4年(1868)に発生した戊辰戦争(会津戦争)では会津藩の予想に反して母成峠から新政府軍の主力が進軍し、大きな抵抗が出来ず鶴ヶ城の城下まで侵入を許し、籠城戦が1か月にわたり繰り広げられました。双方多数の犠牲者がありましたが東明寺の墓地には主に鶴ヶ城近くの西軍(新政府軍)の戦死者が葬られ墓碑が建立されています。墓地内には土佐藩49人(安右衛門・猪助・上田官吉・上田茂太郎・上田長三郎・大石左馬司・大野磯之丞・小笠原謙吉・岡田孫弥・尾崎万助・恵助・高橋兵助・豊島作次郎・二宮梶平・弘田駿吉・福岡友治郎・真辺哲馬・与太郎・池田陽三郎・島本為太郎・宮崎小三郎・小笠原唯八・三原兎弥太・安岡覚之助・山本礼吉・阿部駒吉・岡村進勇・尾崎猪三次・小島慥助・松田順次郎・宮崎合助・森本平馬・中村茂藤次・庫次・留俊吉・八木伊与吉・楠島熊吾・島村謙之助・三蔵・岩井猪之助・金子和三郎・河野忠之進・原庄九郎・岩原久万吉・二川為治・梅原伊勢太郎・政吉・沢田庫次・門田久太郎・下野国吹上之者)、薩摩藩33人(猪俣壮七郎・上原正八郎・栄蔵・岡右衛門・川上彦八郎・園田勇吉・田村小太郎・藤四郎・中島岩次郎・奈良原弥六左衛門・萩原強之丞・半右衛門・肘岡藤八・藤井才之助・藤崎勇蔵・松崎壮八・丸田喜右衛門・米良仲之丞・林太郎・加藤郷兵衛・西田藤助・弥蔵・喜之助・松蔵・助右衛門・市蔵・福留嘉右衛門・米良清次郎・亀川与兵衛・川上八郎左衛門・鮫島源助・d松善次・東郷四郎左衛門)、長州藩24人(石川庄平・石田八之丞・兼重卯七郎・高佐友之進・藤田三次郎・入江正太郎・宇佐川熊之助・内田基蔵・佐々木兼祐・久光秀太郎・前田半蔵・松原孫助・平田四郎・山県清之進・安達章蔵、以上15名の合葬墓。金蔵・卯八・弥七・利吉・恩蔵・嘉平治・明石亀吉・兵之助・又右衛門、以上9名墓)、大垣藩20人(川崎松次郎・増田九助・太田七十郎・奥富元三郎・加納伝四郎・北村吉五郎・杉山庄五郎・長谷川直吉・森甚太郎・吉田彦三郎・河井富助・九鬼円之助・大屋柳次郎・木村重平・多賀十助・藤田辰次郎・渡辺順蔵・藤田彦三郎・武藤菱之助・米山休左衛門)、西軍墓地(会津若松市)肥州藩11人(峰初瀬左衛門・大串藤一郎・田雑又六・福島喜三郎・師岡作太夫・横尾喜六・吉田友一郎・桑原源之助・善吉・利七・庄次郎)、備州藩6人(岡山藩:三宅彦太郎・中西寿之助・伊原常三郎・緒方益太郎・斎藤小十郎・雀部八郎)、岡山藩3人(福田藤兵衛・西原元次郎・今井常次郎)、館林藩2人(塩谷右兵衛・清水又右衛門)、越前藩1人(八木三郎墓)、不明1人、合計150名の墓碑が建立されています。

西軍墓地:写真

西軍墓地
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