皆鶴姫の碑群(会津若松市)概要: 皆鶴姫の碑群は福島県会津若松市河東町倉橋字藤倉に位置し石碑、新旧の墓碑(供養塔?)、石祠で構成されています。伝承によると平安時代末期に源義経が奥州平泉(現在の岩手県平泉町)に下向した際、京都で恋仲となった皆鶴姫が義経を追って二人の子供である帽子丸を連れて当地を訪れました。
平家の追討を受けていた事から、帽子丸は捕縛され沼(帽子沼)に投げ捨てられ溺死(享年2歳)、皆鶴姫は追ってから逃れたものの、疲労困憊となり、難波池で自分の姿が余りに醜く映り、義経に追いつく事もかなわない事から身投げしてしまいました(享年18歳)。その報を聞いた義経は急いで戻り難波池の畔に葬り墓碑を建立したと伝えられています。
その後、皆鶴姫の菩提を弔う為に皆鶴山難波寺(現在は廃寺)が開かれ長く村人から篤く供養されたそうです。皆鶴姫の碑群は、昭和62年(1987)に会津若松市指定有形民俗文化財に指定されています。
皆鶴姫の碑群:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会
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