会津若松市: 暦応の碑

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概要・歴史・観光・見所

暦応の碑(会津若松市)概要: 暦応の碑は福島県会津若松市河東町暦応の碑(会津若松市)に位置する石碑で、3つの石碑群から構成されています。中央の石碑は、高さ60cm、幅60cm、正面上部には観音菩薩を意味する梵字、その下には「暦応五年十二月敬白」の銘が刻まれています(暦応5年=西暦1342年)。右側の石碑は高さ140cm、幅40cm、正面上部には阿弥陀如来を意味する梵字が刻まれています。左側の石碑は、高さ70cm、幅69cm、正面には阿弥陀如来と勢至菩薩、観音菩薩を意味する3字の梵字が刻まれています。左右の石碑には年号が刻まれていませんが、中央の石碑と同時期に制作されたものと推定されています。

暦応の碑は南北朝時代に制作され、年号が明確で貴重な事から昭和45年(1970)に会津若松市指定有形文化財に指定されています。又、暦応の碑の左側には源義経が奥州平泉に下向する際、鏡山を通過、その時愛馬を繋いだと伝わる「駒繋石」、右側には〇〇墓が建立されています。

暦応年間の板碑:上空画像

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会


暦応年間の板碑:ストリートビュー

暦応の碑:写真

暦応の碑の全景を撮影した画像
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暦応の碑 暦応の碑 暦応の碑 暦応の碑


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