会津若松市: 蒲生秀行廟

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概要・歴史・観光・見所

蒲生秀行廟(会津若松市)概要: 蒲生秀行廟は会津若松市館馬町に位置する会津藩主の霊廟で、案内板によると「 蒲生秀行は、文禄4年(1595)から慶長3年(1598)までと、同6年(1601)から同17年(1612)までの2回にわたって会津の領主であった。廟屋は大きい切石を2段に積んだ高い一重基壇によって造られた墓室上に石造五輪塔(2.7メートル)を据え、これを木造覆屋で被覆している。この廟屋は、遺構の原型部分、とくに懸魚や木鼻に桃山ないし江戸字初期の特色があり、建立は秀行卒年(1612年)の間もない頃と考えられる。 会津若松市教育委員会 」とあります。

蒲生秀行霊屋は木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造り板張り、禅宗様、江戸時代初期の霊廟建築の遺構として貴重な事から昭和61年(1986)に福島県指定重要文化財(建造物)に指定されています。又、敷地全域は昭和53年(1978)に会津若松市指定史跡に指定されています。

蒲生秀行の菩提寺は戒名「弘真院殿覚山浄雲大居士」に因み「弘真院」と号し若松三十三観音(城廻り三十三観音)第27番札所に選定されるなど栄ていましたが、その後衰微し、境内には蒲生秀行廟の他、館薬師堂、玉泉寺小堂だけとなり、現在は薬師公園として整備されています。山号:妙覚山。院号:弘真院。宗派:真言宗豊山派。

蒲生秀行時代の会津藩は本城である鶴ヶ城には蒲生秀行、支城である福島城(福島市)には木村吉清、小峰城(白河市)には町野長門守吉高、二本松城(二本松市)には蒲生郷成や町野重仍、鴫山城(南会津町)には小倉行春、須賀川城(須賀川町)には田丸具直や蒲生郷成、三春城(三春町)には田丸具直や蒲生郷成、猪苗代城(猪苗代町)には蒲生郷安や町野繁仍、梁川城(伊達市)には蒲生頼郷などが配されています。

蒲生秀行は会津藩の藩主時代に社寺の保護を行い、文禄5年(1596)には蒲生氏郷の遺髪を興徳寺の境内に納め墓碑を建立し霊廟を造営、新宮熊野神社(喜多方市)には社領50石を安堵、慶長8年(1603)に良然和尚を招いて阿弥陀寺(会津若松市)を創建、慶長10年( 1605)に火災で焼失した桙衝神社(須賀川市)の社殿を再建、視察の際大正寺(北塩原村)で嫡男亀千代丸 (後の蒲生忠郷)の病気平癒の祈願、慶長年間(1596〜1615年)には北山薬師堂で嫡男亀千代丸 (後の蒲生忠郷)の病気平癒の為、7日間病気平癒の護摩祈祷、慶長13年(1608)には愛宕神社(会津若松市)の社殿を修復、隠津島神社(福島県二本松市)の境内に数千本の杉を献植、振姫(正清院)は石塚観音(蓮台寺)に堂宇を再建し千手観世音菩薩像を奉納し、蒲生秀行が死去すると御影が奉納しています。

【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会

蒲生秀行廟:写真

蒲生秀行廟
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