桙衝神社

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概要・歴史・観光・見所
桙衝神社(須賀川市)概要: 桙衝神社は福島県須賀川市桙衝に鎮座している神社で、案内板によると「 日本武尊が御東征の折、この神民山(亀居山)に柊の八尋の矛をつきたて、武甕槌神を祀ったにが神社草創の初めで約2000年前といわれている。この社は、延喜式内の古社で、岩瀬郡の総鎮守として代々領主の信仰あつく、神域45ヘクタール、一の鳥居随神門より中世建築の本殿を拝す。本殿より左の参道を登れば、祭祀遺跡の「磐座」が現存する。閏年の10月1日に行われる御輿渡御、太鼓獅子舞は、奈良時代から続いたと伝承される。稚児ばやしと踊りに和して、賑やかに百足獅子が歩む姿は、優雅華麗にして古風ゆかしいおもかげを今に伝えている。また、本殿は県指定の重要文化財である。 長沼町教育委員会 」とあります。

【 桙衝神社と日本武尊 】-江戸時代後期の白河藩(藩庁:小峰城)の儒学者である広瀬蒙斎が編纂した「白河風土記」や社伝等によると桙衝神社の創建には様々な説があります。その一つは、日本武尊が東国平定で当地を訪れた際、亀居山(神居山)に上り、そこにあった自然の立石を祭壇に見立て柊木の八尋の桙を立て、武壅槌神(鹿島神宮の祭神)に対して蝦夷平定のの戦勝祈願したと伝えられています。福島県内の日本武尊が行軍したと想定される浜通りと中通りには尊の伝説が数多く残されており、桙衝神社もその一つとされます。亀居山は、山容が亀の甲羅を横から見た形状に似ている事や、神が居る山から神居山と呼ばれそれが転じた事が山名の由来になったとも云われています。境内背後の山頂付近には磐座と思われる奇岩怪石が多い事から、古代人の素朴な自然崇拝の遥拝所が前身だったとも考えられます。

【 桙衝神社と弘法大師空海 】-桙衝神社と同じく亀居山の山麓に境内を構える長楽寺に伝わる伝承によると、平安時代の弘仁12年(821)7月10日、真言宗の開祖である弘法大師空海が巡錫で当地を訪れた際当寺を開山しました。すると丑寅の方角から夜な夜な神々しい光に満ち溢れた為、ある晩空海がその場所を探り当てると、そこには塚があるだけでしたが、空海は何か感じるものがあり、それから3日3晩祈祷を続けると、突如として塚の中から神鉾が出現した事から、神意と悟り、この神鉾を御神体とする社を設けたと伝えられています。

【 桙衝神社と鹿島神宮 】-さらに、別な伝承によると、奈良時代の養老2年(712)に常陸国(現在の茨城県)の住民が当地に移り住んだ際、常陸国の一之宮である鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中)の祭神(武甕槌神)を勧請したのが桙衝神社の始まりとされ、弘仁12年(821)に塚から神鉾が出現した事で祭神の御霊代、御神体としたと伝えられています。飛鳥時代や奈良時代では朝廷が蝦夷に対して城柵を設け、その城柵を維持管理、守備させる為に柵戸と呼ばれる住民を各地に派遣した歴史があり、それらの住民が地元の有力神社を祭った可能性は大いにあると思います。確かに須賀川市周辺には古代城柵の遺構はありませんが、須賀川市駅周辺には石背郡の郡役所(郡衛)と推定される栄町遺跡や郡役所関係者が住んでいたと推定される「うまや遺跡」があり、比較的早い時期から開発された地域だった事から、何らかな理由で朝廷に命じられ常陸国の住民が強制的に当地に配されたのかも知れません。桙衝神社境内背後には古墳時代の祭祀場と思われる史跡があり古代から亀居山(神居山)は霊山として信仰されていたものの、その後、鹿島神宮の分霊が勧請され、「鹿島神社」と呼ぶべく神社だったと思われます。

現在は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている桙衝神社に比定されています。基本的に慶長2年(1597)の火事により由緒が失われ、それ以前の歴史は不詳のはずですが、どこかの時点で廃社となっていた桙衝神社を、記紀や延喜式神名帳を精通した識者が日本武尊の伝説と共に、当地の惣社だった鹿島明神に合祀した事にして格式を上げたのかも知れません。又、別当寺院である応永18年(1411)に賢日和尚が中興し真言宗に改宗している事から、真言宗の開祖である弘法大師空海と結びつけたのかも知れません。

天喜5年(1057)の前九年合戦の際には源頼義が戦勝祈願を行い、改めて鹿島神宮の分霊を勧請合祀し桙衝鹿島大明神と呼ばれるようになっています。歴代領主からも崇敬庇護され、慶長2年(1597)に火災により社殿が焼失すると慶長10年(1605)に会津藩蒲生秀行が再建し、慶安元年(1648)には白河藩主榊原忠次が社殿を造営しています。古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治3年(1870)に社号を「桙衝神社」に復し、明治5年(1872)に郷社、明治29年(1896)に県社に列しています。祭神:日本武尊、建御雷命。

現在の桙衝神社本殿は慶安元年(1648)に白河藩主榊原忠次が再建されたもので、三間社流造、木羽葺、桁行3間、梁間3間、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和51年(1976)に福島県指定重要文化財に指定されています。桙衝神社境内には古建築物が多く、拝殿(享和元年:1801年建築、入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、梁間2間、正面1間唐破風向拝付)、神楽殿(享和元年:1801年建築、入母屋、鉄板葺、妻入)・神社山門随身門−享和元年:1801年建築、切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門)が須賀川市指定文化財に指定されています。

桙衝神社本殿概要: 本殿と附棟札は昭和51年(1976)に福島県指定重要文化財に指定されていて、案内板によると「・・・(前略)現在の本殿は、慶安元年(1648)白川藩主榊原忠次の命によって建立されたもので、桁行3間、梁間3間、切妻の流造木羽葺の三間社で、三方に縁を付している。この建物は、妻飾・大瓶束の結綿部分・虹梁の上下面・懸魚の形などに特に時代と地方の特色を示していて、貴重である。本殿の建立、修復の記録として慶安元年から明治年間までの12枚の棟札が保存されており、本殿の修理・屋根ふき替えなどの経過とともに奉行・大工・名主などの氏名が記されており、当時の営繕組織をよく知ることができ、これも貴重な資料である。 福島県教育委員会 」とあります。

桙衝神社の文化財
・ 本殿(附:棟札12枚)−慶安元年、三間社流造、木羽葺−福島県指定文化財
・ 拝殿−享和元年、入母屋、唐破風向拝付−須賀川市指定文化財
・ 随神門−享和元年、三間一戸、八脚単層門−須賀川市指定文化財
・ 神楽殿−享和元年、入母屋、鉄板葺、妻入−須賀川市指定文化財
・ 桙衝神社祭祀遺跡−須賀川市指定史跡
・ 桙衝神社太鼓獅子−旧暦閏年の例祭時に奉納−須賀川市指定無形民俗文化財
・ 絵馬繋ぎ駒(2面)−須賀川市指定文化財

桙衝神社(本殿・随身門):写真

桙衝神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
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桙衝神社参道に設けられた随神門(神社山門) 桙衝神社参道石段から見上げた拝殿と石燈篭 桙衝神社拝殿背後に配された覆い屋内部の本殿と透塀 桙衝神社例祭で神楽が奉納される神楽殿
桙衝神社参道石畳み沿いにある石造狛犬と石燈篭 桙衝神社随神門(神社山門)から見た参道と境内の様子 桙衝神社拝殿を左斜め前方から撮影した画像 桙衝神社社殿を右斜め前方から撮影した全景画像


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