相楽等躬の墓(須賀川市)概要: 案内板によると「相楽等躬の墓(正徳5年(1715)没78歳)−白河藩郷士で須賀川の駅長をつとめた。若くして江戸に出て俳諧を学び、延宝のころには芭蕉とも交流があった。芭蕉が「奥の細道」行脚で須賀川に一週間も滞在したのは、等躬との交流のためであった。等躬は「葱摺」などを著わしている。 − 句碑 「あの辺は つく羽山哉 炭けふり」 等躬 − 晩年には平城主内藤露沾の知遇を受け平城で客死した。 須賀川市」とあります。相楽等躬の墓は長松院の本堂裏の墓地の一角にあり現在でも花が生けてあるなど手厚くされています。
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