会津若松市: 葦名家花見ヶ森廟

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概要・歴史・観光・見所
葦名家花見ヶ森廟(会津若松市)概要: 葦名家花見ヶ森廟は福島県会津若松市花見ヶ丘2丁目に位置している芦名家の墓域で、16代当主芦名盛氏、17代当主盛興、18代当主盛隆の塚の墓碑(五輪塔)が建立されています。元々は10代から19代の墓域だったとされ、16代当主芦名盛氏の戒名「瑞雲院殿竹巌関大庵主」に因み「竹巌廟」とも呼ばれました(3代から10代までは小田山中腹にあった寿山廟に葬られています)。盛氏の菩提寺である宗英寺(福島県会津若松市天寧寺町)が墓守を担っていたと思われますが、天正18年(1589)に発生した摺上原の戦いで伊達政宗に敗れた芦名義広は実家である佐竹氏を頼り常陸国(現在の茨城県)に落ち延び会津を後にした為、庇護者を失い衰微しました。江戸時代初期の元和6年(1620)、黙岑昌ァ大和尚により宗英寺を中興開山し、寛文5年(1665)に初代会津藩主保科正之により芦名家の追善供養の為に墓碑(五輪塔)が建立されています。大正14年(1925)に制作された「葦名盛氏葬送之図」によると、上記の3基以外にも12代当主盛詮、13代当主盛高、14代当主盛滋、15代当主盛瞬の塚が描かれていましたが、その後の市街化や宅地化によりそれらの塚は破却され現在の形態に落ち着いたようです(葦名家花見ヶ森廟の北側約50mに主不明の塚が1基残されています)。葦名家花見ヶ森廟は中世大名の墓域として貴重な事から昭和47年(1972)に会津若松市指定史跡に指定されています。

葦名家花見ヶ森廟:写真

葦名家花見ヶ森廟
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