さざえ堂(飯盛山)概要: さざえ堂は福島県会津若松市一箕町八幡(飯盛山)中腹に位置する御堂で、創建は江戸時代後期の寛政8年(1796)に実相寺の郁堂和尚が建立されたのが始まりとされます。伝承によると郁堂和尚が二重紙縒りを示唆する霊夢を見た事でさざえ堂を着想し寛政7年(1795)に発願したと伝えられています。
さざえ堂の記録的な初見は享和3年(1803)から文化6年(1809)に会津藩が編纂した地誌である「新編会津風土記」で、「円通三匝堂」と記されています。
さざえ堂の平面は六角形で、右回りに螺旋状の廊下(スロープ)を登ると頂上には太鼓橋があり、それを渡ると下りの螺旋状の廊下となり建物を3回廻ったことになります。上りと下りに道が分かれている事は参拝者がスムーズに参拝出来る為とされますが、さざえ堂の構造の特異さは世界的に見ても極めて珍しい存在とされます。
建物の細部や向拝に施された彫刻も素晴らしく3匹の龍が大きな海原を躍動しています。六稜三層の形状がさざえに似ている事からさざえ堂(栄螺堂)と呼ばれ、内部には西国三十三観音を模した木像がそれぞれが祀られていて一周すると西国三十三観音霊場を巡礼したのと同様の御利益があると信仰され江戸時代には多くの民衆が訪れました。
しかし、明治時代初頭に発令された神仏分離令により管理していた正宗寺が廃寺となり三十三観音像も他所に移され仏教色を一掃した為、建物だけが残されました。
さざえ堂正面入口上部に掲げられている「福聚海」の扁額はさざえ堂建立に携わった実相寺の郁堂和尚が寛政9年(1797)に筆したもので、「妙法蓮華経。観世音菩薩普門品。第二十五」所謂「観音経」の一節「福聚海無量」から採った言葉です。意味は、観音菩薩の福徳(恵み)は海の様に広く広大で、無限に溢れ出てくるので、私達をきっとお救いしてくれるだろう、という有難い言葉です。
「福聚海」の扁額の下をくぐると、扁額の筆者、「郁堂和尚」の木造座像が安置され、下りの反対側には「飯盛山正宗寺」を開いた残夢和尚の木造座像が安置されています。
さざえ堂建築は江戸時代後期に東日本で数多く建立されたそうですが、現存するものは少なく、特に飯盛山と成身院(埼玉県本庄市児玉町)、曹源寺(群馬県太田市:群馬県指定文化財)は日本三大さざえ堂に数えられています。さざえ堂(六稜三層形式、唐破風向拝付、銅板葺、高さ16.5m)は建築的な特異性と当時の民衆の宗教感を伝える御堂建築として大変貴重な事から平成7年(1995)に国指定重要文化財に指定されています。に指定されています。
さざえ堂:上空画像
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