戸ノ口堰洞穴(飯盛山)概要: 戸ノ口堰洞穴は福島県会津若松市一箕町八幡に位置しています。江戸時代に入り鶴ケ城(会津若松城)の城下町が整備されると、人口が大きく増加し、飲料水や農業用水の不足が深刻化した為、城下町のある会津盆地より高所にある猪苗代湖から水を引く事が計画され、特に、猪苗代湖と鶴ケ城(会津若松城)の間には飯盛山が大きく聳えていた事が問題となりました。戸ノ口堰洞穴は元和年間(1615〜1624年)から元禄年間(1688〜1704年)まで工事が行われ、その間資金不足により一時凍結しましたが加藤明成が再開の許可を与えています。天保3年(1832)から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進みました。トンネルの長さは約150mとなり工事に刈り出された人夫は5万5千人に達したそうです。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり会津藩にとって大きな恩恵となりました。慶応4(1868)年8月23日、戊辰戦争の1つである戸ノ口原の戦いで新政府軍に敗れた白虎隊士中二番隊20名が鶴ケ城(会津若松城)に戻る為に戸ノ口堰洞穴を利用し、洞穴を抜けた後、飯盛山から城下町が炎上しているの見て(鶴ヶ城が落城したと誤解して)自刃しています。戸ノ口堰洞穴の傍らには守護神と思われる戸ノ口堰水神社が鎮座しています。
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板-財団法人会津弔霊義会
【 付近地図 】
・ 福島県会津若松市 一箕町八幡地内
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