涼ヶ岡八幡神社

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概要・歴史・観光・見所

涼ヶ岡八幡神社(相馬市)概要: 涼ヶ岡八幡神社は福島県相馬市坪田字涼ヶ岡に鎮座している神社で、案内板によると「吉野朝の御代(1330年代)北畠顕家の武将岩城宗広(白河城主)が熊野堂城に據った時、武運長久を祈り、この神社を建立した。今の社殿は元禄8年相馬昌胤が、造営し、一段と荘厳さを加えた。祭神は慶神天皇外二柱である。 社務所」とあります。

前身である若宮八幡宮の創建は平安時代初期の大同年間(806〜809年)に勧請されたのが始まりとされます。南北朝時代の建武2年(1335)、当地の領主となった結城宗広(南朝の奥州方面の主力である北畠顕家から諸郡奉行に任ぜられ奥州方面の統治を任された。)は改めて八幡神を勧請し社殿を造営すると若宮八幡を摂社としました。

室町時代末期の天文年間(1532〜1555年)になると領主(中村城、又は小高城の城主)である相馬家の祈願所として崇敬庇護され、江戸時代には引き続き相馬家が中村藩主となった事から、祭祀や社殿の修繕、造営は藩費によって賄われました。

特に5代藩主相馬昌胤は元禄7年(1694)から元禄8年(1695)にかけて社殿を造営し、その出来栄えが壮麗だった事から「相馬日光」と称されました。古くから神仏習合し別当寺院として長命寺が司っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治6年(1876)に郷社に列しました。祭神は誉田別命(応神天皇)、帯中彦命(仲哀天皇)、息長足姫命(神功皇后)。

涼ヶ岡八幡神社本殿・拝殿・幣殿概要: 案内板によると「涼ヶ岡八幡神社は、正面三間三戸で、その全面に向拝屋根をおろした流造風の本殿と、入母屋造で正面に千鳥破風を飾った拝殿とを幣殿でつなぐいわゆる権現造の形態をもつ社殿です。

本殿は、内外とも和様を基調としており、向拝には透かし彫りを施した蟇股を付けるなど、全般に入念な手法によっています。板壁外面や脇障子などの文様彫刻や、内・外陣の板壁内側や天井の鮮やかな絵画は少し後の時代と思われます。

「奥相志」には、元禄8年(1695)相馬昌胤によって勧請されたという記述が見られますが、現在の建物の部材に刻まれた絵模様の手法などから見て、元禄8年といわれる建立年代に誤りないものと考えられます。なお、屋根は 葺きから茅葺を経て、昭和初年頃からは銅板葺きに変更されています。 福島県教育委員会」とあります。

本殿・拝殿・幣殿ともに江戸時代中期の社殿建築の遺構として貴重な事から昭和59年(1984)に福島県指定重要文化財に指定されています。※平成24年(2012)に国指定重要文化財に指定されています(附:末社住吉神社、粟島神社、貴布根神社本殿、末社多珂神社、足尾神社本殿、末社稲荷神社本殿)。

涼ヶ岡八幡神社随神門概要: 案内板によると「この門は元禄8年(1695)藩主相馬昌胤公御取立にかかり、左右に随神を祀った。随神とは左大臣、右大臣または矢大臣をいい門守の神である。御神像は冠を載き袍き着し、刀を帯び、権柄と弓矢を持つ、古い時代の左大臣と右大臣の御姿を現している。この随身門は相馬地方希に見る神門であり、この御神像は極めてすぐれた彫刻で貴重な文化財である。 相馬市文化財保存会」とあります。

山門は八脚単層門、三間一戸、入母屋、瓦葺きの神社山門で相馬市内に残る数少ない神社山門建築の遺構として貴重な事から相馬市指定有形文化財に指定されています。※平成24年(2012)に国指定重要文化財に指定されています。

涼ヶ岡八幡神社の文化財
・ 拝殿・幣殿・本殿(附:宮殿3基・扁額)-元禄8年-国指定重要文化財
・ 摂社若宮八幡宮本殿(附:宮殿3基)-江戸-三間社流造-国指定重要文化財
・ 末社亀齢社本殿-元禄8年-一間社流造-国指定重要文化財
・ 随神門-元禄8年-入母屋瓦葺,三間一戸,八脚単層門-国指定重要文化財
・ 夫婦杉-推定樹齢800年-相馬市指定天然記念物

涼ヶ岡八幡神社:上空画像

八脚門を簡単に説明した動画

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-福島県教育委員会
・ 現地案内板-相馬市文化財保存会
・ 現地案内板-涼ヶ岡八幡神社


涼ヶ岡八幡神社:ストリートビュー

涼ヶ岡八幡神社:本殿・拝殿・写真

涼ヶ岡八幡神社境内正面に設けられた大鳥居と石造社号標
[ 付近地図: 福島県相馬市 ]・[ 相馬市:観光 ]・[ 福島県:神社 ]
涼ヶ岡八幡神社参道に設けられた朱色に仕上げられた神橋 涼ヶ岡八幡神社神橋の先にある神門(随身門)と石燈篭 涼ヶ岡八幡神社神門(随身門)から見た参道の石燈篭群 涼ヶ岡八幡神社参道石畳みから見た拝殿正面
涼ヶ岡八幡神社本殿と幣殿、それを取り囲む透塀 涼ヶ岡八幡神社社殿左斜め前方から撮影した画像 涼ヶ岡八幡神社摂社である若宮八幡宮本殿 涼ヶ岡八幡神社境内に設けられた絵馬殿

涼ヶ岡八幡神社:歴史的建造物

本殿本殿
・涼ヶ岡八幡神社本殿は江戸時代中期の元禄8年(1695)に中村藩5代藩主相馬昌胤によって造営されたもので、三間社流造、銅板葺、意匠や形式は和様で、拝殿、幣殿とが一体で構成されている権現造、国指定重要文化財。
拝殿拝殿
・涼ヶ岡八幡神社拝殿は江戸時代中期の元禄8年(1695)に中村藩5代藩主相馬昌胤によって造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、平入、桁行7間、張間3間、正面1間軒唐破風向拝付。幣殿、本殿とが一体で構成されている権現造、正面には扁額が掲げられています。国指定重要文化財。
幣殿幣殿
・幣殿は江戸時代中期の元禄8年(1695)に中村藩5代藩主相馬昌胤によって造営されたもので、両下造、銅板葺、間口1間、奥行3間、外壁には寺院建築で見られる雲形の窓付。拝殿と本殿とが一体で構成されている権現造。国指定重要文化財。
随身門随身門
・随身門は涼ヶ岡八幡神社の正門で、寺院でいう山門や仁王門にあたり左右に随身(神)が祭られています。現在の建物は江戸時代中期の元禄8年(1695)に中村藩5代藩主相馬昌胤によって造営されたもので、入母造、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門、木部朱塗り。国指定重要文化財。
若宮八幡宮若宮八幡宮
・若宮八幡宮は涼ヶ岡八幡神社の摂社ですが、本社が創建する以前から鎮座していたとされ境内最古の歴史を持っています。現在の本殿は江戸時代中期の元禄8年(1695)に中村藩5代藩主相馬昌胤によって造営されたもので、三間社流造、銅板葺、正面1間向拝付き。内部には入母屋造、板葺の宮殿3基が設置されています。国指定重要文化財。
亀齢社亀齢社
・亀齢社は涼ヶ岡八幡神社の摂社で中村藩5代藩主相馬昌胤が相馬家16代当主相馬義胤の御霊を祭る剱社として創建しました。一方、亀齢社は寛政7年(1795)に9代藩主相馬祥胤が8代藩主相馬恕胤の御霊を祭る為に中野に鎮座していた熊野神社の境内に創建、その後、天保13年(1842)に亀齢社を現在地に遷宮し剱社と相殿としました。明治時代に入り剱社が相馬神社の境内に遷座した為、当地には亀齢社だけが残されています。本殿は一間社流造、銅板葺、国指定重要文化財。


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