柳津虚空蔵尊(円蔵寺)概要: 霊岩山円蔵寺(柳津虚空蔵尊)は福島県河沼郡柳津町大字柳津字寺家町甲に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院です。円蔵寺の創建は大同2年(807)に弘法大師空海に命じられた徳一大師が虚空蔵尊(柳津虚空蔵尊又は福満虚空蔵尊)を奉じて菊光堂を建立したのが始まりとされます。
円蔵寺は菊光堂の別当して開山され以来、大満虚空蔵尊(茨城県東海村)と能満虚空蔵尊(千葉県天津小湊町)(※金剛證寺−三重県伊勢市など著書によって異なる)と並び日本三大虚空蔵尊の1つに数えられました。特に丑年・寅年の守り本尊として信仰を集め、周囲の人々だけでなく時の権力者である、織田信長や豊臣秀吉、江戸幕府や歴代領主である芦名家や松平家からも信仰が篤かったとされます。
現在の円蔵寺菊光堂は江戸時代後期の文政元年(1818)に火災で焼失した後の文政13年(1830)に再建されたもので、木造平屋建て、重層入母屋造り、銅板葺き、平入、桁行12間、梁間9間、外壁は真壁造り板張り、花頭窓付、総欅造り、岩上に舞台のように建てられている懸造、唐破風には中国故事、向拝には獅子、象、龍、雷神、風神、扁額を支える力士など細かな彫刻が施されています。
福島県内で懸造りの建物は左下観音堂(会津美里町)や専称寺鐘楼堂(いわき市)など数軒しかなく貴重な存在です。
江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)の際には新政府軍から攻撃を受け、菊光堂には数か所の弾痕があり、住職が身をもって防いだとの逸話が残されています。菊光堂の前に安置されている牛の石像は「開運撫牛」と呼ばれこの牛を撫でると福と知の無限の御利益があるとされます。虚空蔵尊は丑年の守り本尊で菊光堂建立時に働いていた一頭の牛が竣工と同時に姿を消したなどという伝説もあり会津の民芸品である赤べこもこの地が発祥とされます。
円蔵寺山門は入母屋(軒唐破風)、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門、左右には朱色の仁王像が安置され大草鞋が掲げられています。円蔵寺の奥之院だった松澤山奥之院弁天堂は茅葺屋根の御堂建築で大変貴重な事から国指定重要文化財に指定されています。
会津六詣出(大山祇神社・伊佐須美神社・弘安寺:中田観音・恵隆寺:立木観音・福満虚空藏尊圓藏寺・如法寺:鳥追観音)。会津三十三観音霊場番外札所(札所本尊:聖観世音・御詠歌:柳津は岩に聳えて懸造り 前には只見の舟の浮きはし)。会津七福神:恵比須天。徳一大師五大寺(如法寺・円蔵寺・勝常寺・示現寺・恵日寺)。会津十二支守り本尊(丑寅:柳津虚空蔵尊・未申:大日如来)。山号:霊岩山。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:釈迦如来。
福満虚空蔵尊:上空画像
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