伊佐須美神社

  福島県:歴史・観光・見所(ホーム)会津美里町:歴史・観光・見所>伊佐須美神社

概要・歴史・観光・見所

伊佐須美神社(会津美里町)概要: 伊佐須美神社は福島県大沼郡会津美里町宮林甲に鎮座している神社です。伊佐須美神社の創建は不明ですが、伝承によると崇神天皇10年(紀元前88年)、国土平定の為、大毘古命が北陸道を御子神である建沼河別命が東海道を北上し当地域で合流した事から相津(会津)という地名が起こったとされ、2神は国家安寧の為、会津高原の天津嶽(標高:1386m)の山頂に伊弉諾尊、伊弉冉尊の分霊を勧請して祀ったのが始まりと伝えられています。

その後、博士山(標高:1482m)、明神ヶ岳(標高:1074m)と移転を繰り返し、欽明天皇13年(552)に高田南原の地に遷り、同21年(560)に現在地に遷座し大毘古命、建沼河別命を合祀しています。

伊佐須美神社の祭神である大毘古命は、第8代孝元天皇と皇后鬱色謎命の第1皇子で、奈良時代に成立した日本書紀の崇神天皇10年9月9日の条によると、大彦命(大毘古命)が四道将軍として北陸に派遣された事が記されています。一方、「古事記」によると崇神天皇の御代に大毘古命(大彦命)は高志道に派遣された事が記されています。

伊佐須美神社の祭神である建沼河別命は、大彦命の子で、奈良時代に成立した日本書紀の崇神天皇10年9月9日の条によると、武渟川別(建沼河別命は)が四道将軍として東海に派遣された事が記されています。

一方、「古事記」によると崇神天皇の御代に建沼河別命(武渟川別)は東方十二道に派遣された事が記されています。大毘古命と建沼河別命が合流した地は「相津」と呼ばれ、それが転じて「会津」の地名の由来になったとされ、両神は陸奥国と越後国の国堺に聳える御神楽岳の山頂にイザナギノミコト、イザナミノミコトを祭り伊佐須美神社を創建したそうです。

上記の記紀の記述や伊佐須美神社の由緒が事実を反映しているかは判りませんが、会津地方には4世紀後半に築造された東北地方第二位の規模である亀ヶ森古墳(全長127.3m、前方後円墳、国指定史跡)や4世紀末期に築造された東北地方第四位の規模である会津大塚山古墳(全長114m、前方後円墳、国指定史跡、三角縁神獣鏡を出土)が存在している事から、当時、国造級の力を持った豪族が当地域を領し伊佐須美神社を奉斎していた可能性があります。

会津大塚山古墳は三角縁神獣鏡だけでなく、畿内で制作されたものと推定される複数の副葬品が見つかっており、これが正しければ4世紀には何らかな形で大和王権の勢力が会津地方まで及んでいた事になり、伊佐須美神社、又は前身となる奉斎施設もこの頃に創建されたのかも知れません。

伊佐須美神社は格式も高く、承和10年(843)に従五位下に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社に記されるなど古くから信仰の対象となり会津総鎮守(会津郡と耶麻郡で式内社は伊佐須美神社と蚕養国神社磐椅神社の3社、格式の高い名神大社は伊佐須美神社だけだった為、会津総鎮守とされた)、奥州二宮、岩代一宮にもなっています。

伊佐須美神社は歴代領主からも崇敬され室町時代後期に芦名盛安(高田城主)から寄進された金色の神輿は国重要文化財に指定されている他、永正11年(1514)に芦名盛舜(芦名家第15代当主)が社殿を再建し社領300貫文が安堵されています。

天正年間(1573〜1593年)伊達政宗の会津侵攻により庇護者であった芦名家が常陸に逃れた事で一時衰退しましたが奥州仕置きで伊達家が岩出山(宮城県大崎市岩出山町)に移封されると豊臣秀吉から社領が認められ再興しています。

江戸時代に入ると伊佐須美神社は会津藩の保科家(松平家)の崇敬社として、会津大鎮守六社(黒川諏方神社・伊佐須美神社・磐椅神社・蚕養国神社・心清水八幡神社・西村八幡宮)に指定されています。

延宝2年(1674)には保科正経が社殿を改修し、寛政4年(1792)には5代藩主松平容頌が社殿を再建、他にも数多くの社宝が寄進され社領30石が安堵されています。明治6年(1873)には国幣中社に列しています。

伊佐須美神社例祭の一つ御田植祭は日本三大田植祭に数えられ催馬楽、獅子追い、田植人形、など古来から伝わるもので福島県最古の形式を伝えている大変貴重な行事である事から平成27年(2015)、慶徳稲荷神社と共に名称「会津の御田植祭」として国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定され、 「古式ゆかしい神事−お田植えまつり−」として美しい日本のむら景観コンテストのむらづくり対策推進本部長賞(文化文門)に受賞ています。

伊佐須美神社随身門(神社山門)は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、正面左右には随身、背面には木造狛犬が安置されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、正面3間向拝付、外壁は真壁造り板張り。本殿は三間社流造、銅板葺外壁は真壁造り板張り。

会津六詣出大山祇神社伊佐須美神社弘安寺:中田観音恵隆寺:立木観音福満虚空藏尊圓藏寺如法寺:鳥追観音)。会津七福神:寿老福人。祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命。

伊佐須美神社の文化財
・ 朱漆金銅装神輿−室町時代後期−国指定重要文化財
・ 会津の御田植祭−国選択無形民俗文化財
・ 木造狛犬一対-南北朝-高さ97p,寄木造,漆仕上げ-福島県重要文化財
・ フジ(別称:飛竜のフジ・登竜のフジ・瑞木のフジ)−福島県天然記念物
・ 伊佐須美神社の田植神事−福島県指定無形民俗文化財
・ 黄金扉-室町-縦161.8p,横55p,厚3.8p-会津美里町指定文化財
・ 古代扉-室町-縦173p,横49.5p,厚6p-会津美里町指定文化財
・ 鉄華表-明応元年-全長193p,円筒周196p-会津美里町指定文化財
・ 日本紀竟宴和歌-江戸時代-全長5.5m-会津美里町指定文化財
・ 太々神楽−会津美里町指定無形民俗文化財
・ 伊佐須美神社奥宮の地−会津美里町指定史跡
・ 薄墨桜-推定樹齢800年-会津美里町指定天然記念物(福島県緑の文化財)
・ 伊佐須美神社社叢−会津美里町指定天然記念物(福島県緑の文化財)

伊佐須美神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 現地案内板(由緒)-伊佐須美神社


伊佐須美神社:ストリートビュー

伊佐須美神社:社殿・境内・写真

伊佐須美神社境内正面に設けられた朱色の大鳥居
[ 付近地図: 福島県大沼郡会津美里町 ]・[ 会津美里町:歴史・観光 ]
伊佐須美神社随身門は端正な意匠で格式が感じられます 伊佐須美神社拝殿正面とその前に置かれた石燈篭 伊佐須美神社本殿と幣殿と透塀 伊佐須美神社に奉納された酒樽
伊佐須美神社参道の奥に見える随身門(楼門) 伊佐須美神社境内の東側にある飛竜の藤 伊佐須美神社境内を緑の空間で彩る社叢 伊佐須美神社境内にあり春の季節が待ち遠しい薄墨桜


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「福島県:歴史・観光・見所」は「福島県の歴史」、「奥州街道」、「郷土資料辞典−福島県」、「日本の城下町−東北(二)」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」、「歴史道路報告書」を参考にさせていただいています。※プライバシーポリシーはこちらです。