会津美里町: 高倉観音

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概要・歴史・観光・見所
高倉観音(会津美里町)概要: 高倉観音堂は福島県大沼郡会津美里町丸山乙に境内を構えている御堂で、内部に安置されている高倉観音は平安時代後期の治承4年(1180)、後白河天皇第2皇子以仁王が重臣である長沢太夫常春に下賜した持仏であると伝えられています。安置した経緯は判りませんが、同じ会津西街道下野街道)沿いにある大内宿にも以仁王の伝説が残されている為、そこから派生した伝説かも知れません(名称「高倉」は以仁王が住んでいた宮の地名から「高倉宮」と呼ばれていた事に起因すると思われます。又、大内宿には以仁王を祭神とした高倉神社が鎮守として祭られています)。創建時は丸山西山麓に境内を構えていたものの、江戸時代初期の正保年間(1645〜1648年)に南西山麓、江戸時代中期の元文4年(1738)に道栄和尚により景勝地である南面中腹に移りました。観音堂は元文4年(1738)に造営されたもので、木造平屋建て、宝形造、鉄板葺、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝や木鼻には龍や獏(象?)の彫刻が施されています。

高倉観音堂に至る参道には鳳皇地蔵尊(地蔵一尊浮彫板碑)があり、案内板によると「 この板碑は古くから子育て地蔵と伝えられ信仰を集めているが、板碑の石材が砂質凝灰岩であるため、風化が進み、地蔵尊のお姿が明らかでなかった。昭和62年7月、拓本取りなどによって詳細に調査が行われ、左手に宝珠、右手に錫杖を持った地蔵尊が浮彫りされていたことが判明し、その彫刻技法、使用石材より高札して南北朝時代(1336〜1392年)につくられたものと推定された。この板碑は当時の地蔵信仰の貴重な資料であると同時に、幼児らの安全を願う人々の信仰の資料である。 会津美里町教育委員会 」とあります。鳳凰地蔵尊(地蔵一尊浮彫板碑)は貴重な事から昭和63年(1988)に会津美里町指定史跡に指定されています。会津三十三観音霊場第23番札所(札所本尊:十一面観音菩薩・御詠歌:高倉は宝を積みし山なれば人の願いも満つる高倉)。

高倉観音:写真

高倉観音
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