以仁王(後白河天皇の第三皇子):伝説

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以仁王伝説(大内宿):概要 以仁王は仁平元年(1151)、山城国で後白河天皇の第三皇子として生まれています。長子ではなかった事から当初は仏門に入りましたが、応保2年(1162)に還俗し、八条院ワ子内親王の猶子として英才教育を受けたとされます。治承3年(1179)、所謂「治承三年の政変」と言われる政変が起こり、平清盛により後白河法皇は幽閉、当時の関白だった松殿基房が追放、以仁王も領地が没収され清盛が朝廷が掌握しました。次期天皇の候補者の1人だった以仁王は事実上排斥され、平清盛の孫である安徳天皇が即位した事で平家の勢力が磐石になる一方で反対勢力の火種となりました。治承4年(1180)、以仁王は源頼政と共に、平家打倒の為に所謂「以仁王の令旨」を発布して全国の源氏に挙兵を促しました。以仁王は自らも挙兵しようと試みましたが、計画が露呈した事で館が襲撃され、旧領地だった園城寺(三井寺:滋賀県大津市園城寺町)に逃れ源頼政と合流したものの、体制が整わず、さらに落ち延びようとしましたが、宇治川で合戦(橋合戦)となり敗北、頼政は自刃し以仁王も命を落としたとされています。

大内宿の伝承: 一般的な解釈としては以仁王は宇治川で命を落としたとされますが、大内宿一方で以仁王の顔は平家方で知る人間がおらず討ち取られた首を本人と確認出来なかったとされます。その為、当時から生存説が巷に流れ、それを拠り所とした全国の源氏一党は「以仁王の令旨」に従い挙兵し最終的には平家滅亡の道標となっています。生存説によると、以仁王は源頼政の弟で越後国小国を領していた源頼之を頼る為、渡部唱等や尾瀬(藤原)頼国、尾瀬頼実(藤原経房次男)等を連れ立って宇治川の戦線を離脱し一路越後を目指したとされます。まずは信濃、甲斐、上州沼田に抜け中沼山に向かったところ、従者の1人尾瀬頼実が刀傷がもとで死去し、篤く弔うと苗字に因み尾瀬と地名を改めたとされます。その後、桧枝岐の山村を経て南会津で会津西街道(下野街道)に入り街道を北上ししています(尾瀬から日光を経て会津西街道を北上したとも)。現在の大内宿近くにで逗留し、当地が宮中の大内に似ていた事から当時の「山本」から「大内」に地名を改称し「高峰の 風吹き戻す山本に こころとどめし 道しるべして」の句を残しています。大内宿逗留していた際、追手が追いつき討ち果たそうとしたところ、辺りが急に暗くなり突如として雷鳴が轟いた為、神意は討つ事を禁じたと悟り、以仁王を逃がした後は皇子の御霊を勧請して高倉大明神(現在の高倉神社:永代御頭家は以仁王が大内宿に潜行した際に一行を御世話したと伝わる佐藤家(玉屋)が勤めています)を創建、以後、高倉神社は大内宿の産土神、総鎮守として信仰を続けています。以仁王は大内宿を離れた後も北上を続け新潟県内の旧下田村(旧家である椿家は以仁王の家臣の家柄で以仁王と共に当地に土着したとも伝承が残されています。)や旧小国町(旧家から先祖伝来の古文書が発見され以仁王が当地に隠れ住んでいた事が記載されていた)や福島県東蒲原郡の旧上川村(高倉宮以仁王はこの地で生涯を閉じたとも言われ、「高倉宮以仁王の墳墓」が残されています。明治時代に調査され一応否定されています。)などに潜伏の伝承が残されています。


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又、大内宿の隣の宿場町である倉谷宿福島県下郷町)の「倉」の字は高倉宮の「倉」の字に肖ったものとされ、大内宿の外れに建立されている「桜木姫の墓」は以仁王の愛妾とされる桜木姫が以仁王を追いかけ大内宿近くで息を引き取り当地に葬られたと伝え、桜木姫が喉を潤せたと伝わる「薬水」も残されています。又、会津西街道沿いでは福永宿(福島県会津美里町)の外れには「高倉観音」が境内を構え信仰の広がりを見せています(高倉観音会津三十三観音霊場第23番札所として信仰を集めています)。

大内宿・概要: 大内宿(福島県下郷町)は会津西街道(下野街道)の宿場町で、現在でも街道沿いには木造平屋建て、寄棟、茅葺屋根の民家が軒を連ね往時の名残を色濃く残しています。全国的に見ても、茅葺屋根がこれほど多く残っている旧宿場町の町並みは他に存在しなく、大変貴重な事から国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。高倉神社は大内宿の産土神として現在でも篤く信仰され、例祭の際には数多くの参拝客が訪れます。

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