福島県会津美里町: 高倉観音

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以仁王:伝説・高倉観音

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【福島県会津美里町:高倉観音】高倉観音堂に本尊として祀られている観音像は治承4年(1180)に以仁王(後白河天皇第2皇子)が平家打倒の挙兵を挙げた時に持仏として所有していたもので、宇治川の戦いに敗れ当地まで逃れてきた際、随行してきた重臣長沢太夫常春(伝承に出てくる人物ですが実在したのかは不詳。)に下賜さえたと伝えられています。その後の経由は不詳ですが、観音像が祀られる事となり以仁王縁がある事から、以仁王の別称である高倉宮(以仁王の邸宅が平安京の高倉小路、現在の京都市の南北の通りの一つで北は丸太町通から南は九条通に至る通りにあった事から高倉宮と呼ばれた。)に因み高倉観音と呼ばれるようになったと思われます。当初は丸山西山麓にありましたが、正保年間(1645〜1648年)に南西山麓に遷り、元文4年(1738)に現在地に移りました。現在は会津三十三観音霊場第23番札所に選定され、別当寺院として白鳳山圓通寺(白鳳山円通寺・宗派:浄土宗)が祭祀を司っています。

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