大内宿: 吉田松陰(東北遊学)

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吉田松陰(東北遊学):概要 吉田松陰は長州藩(山口県萩市)出身の思想家、教育者、兵学者で後の明治維新に関わる多くの清水旅館人物が松陰が主催する松下村塾出身者や教えに影響を受けた人が多かったとされます。子供の頃から叔父である玉木文之進が主催した松下村塾で指導を受け知識や学問、好奇心が旺盛だったとされ嘉永3年(1850)には九州遊学、嘉永4年(1851)には江戸遊学を行い、さらなる知識や師匠を得ると共に多くの友人を造り将来の日本について考えるようになっていました。その中で、特に親交を強めた肥後藩の宮部鼎三と旧南部藩士(当時は脱藩)の江幡五郎と東北遊学を固く約束し、待ち合わせ場所と日時を決めました。当時、藩外に出る場合には藩の許可を得て過書手形(通行手形)の発行してもらう事が通例になっていましたが、手違いから発行されず、藩主の許可を得ようにもたまた長州に帰国していた為それも叶わず、思案の末、嘉永4年(1851)12月14日松陰21歳は脱藩して友人との約束を優先しました(待ち合わせの12月14日泉岳寺前は赤穂浪士討ち入りを意識したとされます)。遊学では水戸藩(茨城県水戸市:水戸城の城下町)や会津藩(福島県会津若松市:鶴ヶ城の城下町)、新発田藩(新潟県新発田市:新発田城の城下町)、久保田藩(秋田県秋田市:久保田城の城下町)、弘前藩(青森県弘前市:弘前城の城下町)、盛岡藩(岩手県盛岡市:盛岡城の城下町)、仙台藩(宮城県仙台市:仙台城の城下町)、米沢藩(山形県米沢市:米沢城の城下町)など遊学し施設の見学や識者の教えを請うたり、同年代の武士などと語り合いおおいに充実した日々を送ったとされます。

吉田松陰と会津藩: 吉田松陰が会津に入ったのは嘉永5年(1852)1月29日、田島宿江戸練兵館(斎藤弥九郎によって開かれた、神道無念流の剣術道場、幕末江戸三大道場の一つ)で面会した斉藤新太郎の紹介により井深茂松(本来紹介されたのは祖父の井深蔵人)から案内を受け会津に滞在した7日間世話になっています。会津滞在中には会津藩の藩校である日新館の教授の高津平蔵や軍事奉行の広川勝助、西郷十郎右衛門など身分の高い人物と面会し北辺の防衛や海防については高津平蔵、藩の兵制や軍事教練については広川勝助から教授されています。海防については口径7寸余、長さ7尺余の百機撒砲の鋳造や、架砲船の造船、猪苗代湖での水上訓練などの詳細を教わり、兵制については羽織の紐の色や襟の色によって身分の等級が定められ近代的な軍隊の呈をなしていたそうです。開いた時間には会津の奥座敷と呼ばれた東山温泉(福島県会津若松市東山町大字湯本滝ノ湯)の湯治を楽しんだり、馬島瑞園(後に会津藩の藩医となり、日新館医学寮の教授も務め、戊辰戦争の際は藩主松平容保の側に控えていたとされます。)と井深蔵人などと詩文のやり取りをするなど大いに交流しています。2月6日には黒河内伝五郎(宝蔵院流の槍術士:会津藩から長州藩に派遣され萩藩の藩校明倫館で武術の教授を行い松陰とは面識があった)の案内で日新館を見学し、越後に向っています。松陰は越後から出羽国(現在の山形県・秋田県)に入り、津軽半島の突端に到ります(竜飛崎には風雪の為に行軍出来ず、横切った形となっています)。特に弘前藩の海防施設に興味があったようで、平舘台場(外ヶ浜町)の見学が行われています。平舘台場からは船で青森湊に至り、南部藩や仙台藩を経由して米沢藩で3日間滞在しています。


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吉田松陰と会津西街道:  松陰は米沢藩を後にすると米沢街道(会津街道)にて再び会津藩に入り会津西街道を利用し日光に向かっています。松陰の会津城下での宿所は清水屋(旅館)だったとされ、案内板によると「この場所には吉田松陰、土方歳三など多くの歴史的人物が訪れた『清水屋』という旅館がありました。幕末の志士たちに大きな影響を与えた吉田松陰は嘉永5年(1852)22歳の時に東北各藩を歴訪する大旅行をしています。中でも会津藩には特に強い関心を示し、2度にわたって訪れ、多くの人々と会い見聞を広めています。松陰の旅の記録『東北遊日記』に記された七日町の宿がここ『清水屋』でした。・・・・・・・会津若松観光協会」とあります。著作の「東北遊日記」によると29日の朝に宿所のあった七日町を小雨が降る中に出立し本郷村(陶器造りが盛んで御許瀬戸捌問屋が多くあると記載)を経て関山宿、火玉嶺(嶺は上下二里と記載)、大内宿倉谷宿楢原宿を通過して田島宿(宿所不詳)で宿泊しています。特に田島宿の記述が多く大内宿から50里程の距離があり、5万5千石の会津の天領で陣屋が置かれ、長沼盛秀の城跡(鴨山城)がある事が記載されています。翌朝は晴れ間が広がり川島宿糸沢宿、山王峠、中三依宿、碇宿(五十里宿)を経て日光方面に向かっています。日光東照宮を見学した後は足利、前橋などを廻り4月5日に江戸に着き、脱藩の罪などで幽閉され士籍剥奪・世禄没収の処分を受けています。

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