会津若松市: 蚕養国神社

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概要・歴史・観光・見所
蚕養国神社(会津若松市)概要: 蚕養国神社は福島県会津若松市蚕養町に鎮座している神社で、平安時代初期の弘仁2年(811)に勧請されと伝えられています。承和年間(834〜848年)に陸奥国と出羽国の按察使兼鎮守府将軍だった藤原富士磨朝臣の奏により官社に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内小社として記載されました。陸奥国内(現在の東北地方太平洋側)で延喜式神名帳に式内社として記載されたのは大社15座15社(名神大社)・小社85座85社、合計100座100社しかなく、蚕養国神社が当時から中央にも聞こえる存在で格式の高い神社だった事が窺えます。寛弘7年(1011)に当時の県令だった石部少将道秀、堂家左京大夫憲照、石塚丹後頼春等によって社殿が造営され神官を蚕養蔵人とします。その後、兵火で社殿が消失し衰退しますが、会津藩初代藩主保科正之は神道に通じていた事もあり、藩内の宗教改革を断行し由緒がある蚕養国神社を復興し社領20石を安堵、社殿を造営します。その際、藩費が使われ官工である鷹谷弥十郎宗清がその任にあたりました。文化4年(1807)に再び社殿が火災にあい消失、12年後の文政2年(1819)に8代藩主松平容敬が再建、その際、藩祖正之が建てた社殿を踏襲したそうです。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され、明治5年(1872)に県社に列しています。社号である「蚕養国神社」は全国唯一で日本一社とされ、特に江戸時代後期から明治時代は全国的に養蚕業が盛んだった為、関係者から篤く信仰され多くの参拝者が訪れました。

蚕養国神社は会津古三社の1つで境内には寛弘7年(1011)に社殿が造営した際植えられたと伝わり会津五桜(一般的に会津五桜とは石部桜・薄墨桜・虎の尾桜・大鹿桜・杉の糸桜)に数えられる「峰張桜」(推定樹齢1000年、樹高14m、胸高幹周575cm、根元幹周810cm)があり平成9年(1997)に会津若松市指定天然記念物、福島県緑の文化財に指定されています。蚕養国神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行5間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は皇子造(熊野造:正面入母屋、背面切妻、妻入、高床、高欄付)、銅板葺き、正面1間唐破風向拝付き。祭神:保食大神、稚産霊大神、天照大御神。

蚕養国神社:写真

蚕養国神社
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