会津若松市: 御薬園

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概要・歴史・観光・見所
御薬園(会津若松市)概要: 御薬園は福島県会津若松市花春町に位置している大名庭園で、室町時代の永享4年(1432)、当時の領主である芦名盛久(芦名家10代当主)が別荘を構えたのが始まりとされます。御薬園の一角に鎮座している朝日神社の伝承によると至徳年間(1384〜1387年)に朝日保方と呼ばれる白髪の老人が鶴が導きにより発見した霊泉で流行り病で苦しむ農民達を救った事から、霊泉を鶴ヶ清水と名付け祠を設けたと伝えられています。その後の詳細は不詳ですが、芦名家は天正18年(1589)に摺上原の戦いで伊達政宗に敗れ会津を去った為、別荘も荒廃したと思われます。江戸時代初期の寛文10年(1670)、会津藩(藩庁:鶴ヶ城)2代藩主保科正経が当地に薬草園を造園、さらに、貞享年(1684〜1688年)に3代藩主松平正容が薬となる朝鮮人参を植えた事から「御薬園」と呼ばれるようになりました(現在は約400種の薬草が栽培されています)。正容は元禄9年(1696)に小堀遠州流の作庭師目黒浄定を招き、普請奉行である辰野源左衛門に命じて大名庭園として作庭されました。

御薬園は案内板によると「 旧会津藩主松平氏の別荘で、もと藩の薬園のあったことから「御薬園」の名で親しまれている。庭園の築造年月は明らかでないが、江戸時代中期の作庭手法をよく伝えている。中央に池を広くとり、中島をおき茶亭を設けて楽寿亭と称する。池の奥、右に男滝、左に女滝がある。後方に低い築山を設けて東山連峯の風景を豊かにとり入れ、また石敷路をたどって池畔をめぐる風致も変化に富んでいる。江戸時代の大名庭の形式による山水庭として優れた庭園であり、文化財保護法による名勝として保護されている。 文化財保護委員会 財団法人会津保松会 」とあります。

江戸時代末期に発生した戊辰戦争(会津戦争)の際には御薬園の施設である「御茶屋御殿」と「楽寿亭」が新政府軍の野戦病院として利用した為、被害を免れ江戸時代中期の姿を留めています。「重陽閣」は昭和3年(1928)、秩父宮妃勢津子殿下がご結婚の報告の為帰郷する事になり急遽建築された東山温泉「新瀧旅館別館」の建物を移築したもので、木造2階建て、入母屋、桟瓦葺き、桁行9間半、梁間4間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、内部は勢津子妃殿下が英国で生まれた事から英国調の意匠が採用されています。「御茶屋御殿」は元禄9年(1696)に造営されたもので、木造平屋建て、寄棟、茅葺、案内板によると「 主に藩主の休息の場として利用されました。上ノ間、次ノ間、扣ノ間からなり、質素を旨とする藩主の意図から規模狭小、古木素朴を用いている。戊辰戦争の時には新政府軍の療養所となり、後に9代藩主容保もここを住まいとした。」とあります。「楽寿亭」は元禄9年(1696)に造営された茶室で、木造平屋建て、寄棟、茅葺、桁行2間、張間2間、外壁は真壁造り鏝押え、案内板によると「 藩主や藩の重役たちが、納涼・茶席・密議などのために用いた。「楽寿亭」の名は、三代藩主正容によって命名された。北側の濡縁には戊辰戦争の際の刀傷が今も残る。」とあります。御薬園は数少ない大名庭園の遺構として貴重な事から昭和7年(1932)に国指定名勝に指定され、昭和54年(1979)に旧薬園跡、池水取入口などが追加指定されています。

御薬園:写真

御薬園
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