会津若松市: 丹羽能教の墓

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概要・歴史・観光・見所
丹羽能教の墓(小田山・小田山城)概要: 丹羽能教の墓は福島県会津若松市丹羽能教の墓(小田山・小田山城)門田町黒岩主山丙に位置しています。丹羽能教は江戸時代中期の明和3年(1766)に会津藩士丹羽家400石の家に生まれ、幼少の頃に両親を亡くし、安永4年(1775)に僅か10歳で家督を継ぎました。責任感からか、文武に加え経済についても研鑽を重ね、天明8年(1788)には会津藩(藩庁:鶴ヶ城)が行った藩政改革で番頭組頭に抜擢されます。藩政改革で一定の実績を挙げると寛政9年(1797)には家老組頭に抜擢され、さらに後に6代藩主となる松平容住の用人となっています。7代藩主松平容衆の時代には軍事奉行となり、文化5年(1808)に会津藩に対し北方警備が命じられると、藩士を率いて樺太に赴きその任を担っています。丹羽能教の墓(小田山・小田山城)文化7年(1810)、会津藩に江戸湾警備が命じられると、三浦半島に赴き、砲台や陣屋を築いています。その後、文化10年(1813)に若年寄、文政2年(1819)に家老に出世し、最終的には石高が1000石に達しています。内政的には打越集落、富永集落で新田開発を行い、会津藩の藩祖保科正之が祭られている土津神社(福島県耶麻郡猪苗代町字見祢山)の祭田として会津藩に献上しています。天正14年(1843)に死去、享年78歳。菩提寺は小田山小田山城)山頂付近、小田山城の二ノ郭跡に設けられた丹羽家の墓域に葬られ、一族の中でも一際大きな墓碑が建立されています。

丹羽能教の墓:写真

丹羽能教の墓
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