会津若松市: 大塚山古墳

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概要・歴史・観光・見所

大塚山古墳(会津若松市)概要: 大塚山古墳は福島県会津若松市一箕町に位置している前方後円墳です。大塚山古墳案内板によると「 会津盆地の東側にある比高30メートルの独立丘陵上に造られた柄鏡式の前方後円墳で、全長約114メートルの規模を有する。昭和39年、市史編纂のために発掘調査が実施され、主軸と直交する2つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。古墳の造営は4世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置づけられている。この古墳の被葬者は会津盆地を治めた首長と考えられ、その副葬品から当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたことが推定される。 会津若松市教育委員会 」とあります。

会津地方に伝わる伝承によると崇神天皇の命により四道将軍に任命された大彦命が北陸道、大塚山古墳建沼河別命が東海道を北上し当地で出会った事から「相津」という地名が成ったとの伝説があります。この伝説が事実かどうかは判りませんが、記紀にも崇神天皇が四道将軍を各地に派遣した旨が記載されてはいます。しかし、崇神天皇が実在したか、実在したとしても在位年代は何時か等不明な部分も多く現在でもハッキリとした事が判っていませんが実在説を主張する人は概ね3〜4世紀としています。又、記紀によると日本武尊も東征したと記載していますが東北地方まで来たかは不詳で、実在したか、実在したとしても年代が判っていませんが実在説を主張する人は概ね4世紀としています。

大塚山古墳の築造年は4世紀末と推定されている事から、少なくとも4世紀には会津地方が大和朝廷の支配下に入り、古墳の規模や副葬品の豊富さから当地域にも強大な豪族が存在していた事が明確です。特に三角縁神獣鏡は大和朝廷に従った豪族に下賜したものと推定されている事から当時の中央と地方の関係性が窺えます。

又、大塚山古墳から出土した三角縁神獣鏡は岡山県丸山古墳から出土したものと同笵という事が判明され4世紀の大和朝廷の版図の一端を見る事が出来ます。大塚山古墳は全長114m、後円部直径70m、高さ約10m、前方部前幅54m、大変貴重な事から昭和47年(1972)に国指定史跡に指定されています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 図説 発掘が語る日本史 第一巻 北海道・東北編-株式会社新人物往来社
・ 日本史跡大辞典1-株式会社日本図書センター
・ 現地案内板-会津若松市教育委員会

大塚山古墳:写真

大塚山古墳に建立されている石碑を撮影した画像
[ 付近地図: 福島県会津若松市 ]・[ 会津若松市:観光 ]
大塚山古墳の頂部を撮影した写真 大塚山古墳の石蓋 大塚山古墳 大塚山古墳前方部から撮影した後円部の画像


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