古殿町(歴史)概要: 古殿町は大和朝廷時代は白河国造に属していて発見された古墳からも当時から人が住み中央の影響下にあった事を示しています。平安時代には陸奥国が建国され、それが肥大化すると陸奥国の南側(福島県)が分国し石城国と石背国が立国しました。
古殿町は石背国に属しましたが陸奥国の世情が不安になると再び陸奥国と統合しています。中世の古殿町一帯は竹貫氏が支配しますが次第に平を本拠とする岩城氏に従属するようになり老中の筆頭として名を連ねる事になります。
天正18年(1590)に発生した小田原の陣の際、岩城氏と共に参陣しますが奥州仕置きにより領地を召し上げられ富岡城の城代となります。その後、古殿町一帯は岩城氏の血族が入りますが、岩城氏は佐竹氏と血縁関係だった為、慶長5年(1600)の関が原の合戦の折、佐竹氏と同調して東西に中立の立場を取った事で改易(後に亀田藩(秋田県由利本荘市岩城亀田)2万石に移封)させられます。
江戸時代に入ると棚倉藩(藩庁:棚倉城)や平藩(藩庁:平城)、天領など代わる代わる支配が変わっています。古殿町中心部には白河から平を結んだ御斉所街道が通り、様々な物資が行き交う中継地として活気を呈し市なども頻繁に開かれたと言われています。
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