会津坂下町(歴史)概要: 会津坂下町の歴史は古く大村新田遺跡や鬼渡A遺跡などの縄文時代や能登遺跡などの弥生時代の遺跡が見つかり当時から人々が生活を営んでいたのが窺えます。古墳時代には杵ヶ森古墳や亀ヶ森古墳など福島県を代表するような古墳が見つかり県内でも早くから開けていた地域の1つと言えます。
欽明天皇元年(540)に中国の高僧青岩が高寺山に恵隆寺を開山(伝)したことで会津地方に大きな影響を及ぼし現代でも立木観音堂や宇内薬師堂にその面影を見ることが出来ます。
近世に入り会津五街道が整備されると会津坂下町は越後街道と会津西街道(下野街道)の脇街道の宿場町として町割りされ坂下代官所や郷役所が配置されるなど周囲の経済的、政治的中心地となります。
越後街道は会津と日本海側を結び重要な街道で村上藩(新潟県村上市−村上城)と新発田藩(新潟県新発田市−新発田城)の参勤交代や海産物を会津地方に供給ルートでした。
街道に平行するように流れた阿賀川は新潟まで続いた事もあり舟運の発達によって北前船で大阪や京都と多くの物資や文化がもたらされ会津坂下町の経済に大きな影響をもたらしました。
明治以降も河沼郡役所がおかれ周辺地域の中心的役割を担い、明治時代初期にはイギリス人女性紀行家イザベラバードも坂下宿で宿泊しています。
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