只見町(歴史)概要: 只見町は古来より生活に適した場所とされ町内全域で縄文時代や弥生時代の遺跡が散在しています。特に只見川流域にある「窪田遺跡」(福島県指定史跡)は縄文時代後期から弥生時代中期までの複合遺跡で、各時代の住居跡や福島県内では数少ない再葬墓が発見されています。
又、出土品では伊豆諸島にある神津島産と思われる黒曜石なども見つかり当時の只見町住民が交易を行っていたと考えられます。中世に入ると只見町を含む奥会津地方は山内氏が支配するようになり只見町には水窪城を築き戦略的拠点の1つにしていました。
戦国時代に入ると山内氏は芦名氏に従属しながら上杉氏や石田三成とも関係を持ちある種の独立性を保っていた為、天正17年(1589)に伊達氏が芦名氏を摺上原の戦いで勝利した後も伊達氏と対峙することが出来ました。
当時の当主山内氏勝は居城である中丸城をすて要害堅固であった水窪城で陣を構え上杉勢の援軍を得て事で籠城に成功しました。その背景には豊臣秀吉が天下統一を進める中で"惣無事令"という私闘禁止令が発令された中で石田三成から領土安堵と政宗との戦の許可を得ていたとされます。
しかし、小田原の陣へ政宗が参陣して奥会津から兵を引くと逆に参陣しなかった山内氏が領地没収となりました。その後は蒲生氏、上杉氏と領主が変わり、江戸時代の大部分は天領となり明治維新を迎えています。
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