鹿島神社(福島市)概要: 鹿島神社は福島県福島市鳥谷野宮畑に鎮座している神社です。鹿島神社は境内にある案内板によると「 鎮座は延暦元年(七八二)で、常陸の國 鹿島神宮より分祀された延喜式内社信夫五社の一社に列せらる。 「続日本紀巻三十七」に「按ずるに桓武天皇延暦元年壬戌五日、常陸國言祈祷鹿島神討はつ凶賊神験非虚望寛位封奉格勳五等封戸云々」とある。天明元年(一七八一)四月火災により、同二年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し、同年七月光格天皇の御世、勅宣奉授し「正一位」を授けられ、郷民勅宣社として崇敬をあつめた。その後、建替えの棟札の中に福島城主板倉甲斐守重房の武運長久の為の祈願棟札も見つかっていることから古くから開運の神として崇敬が厚い。・・・(後略) 鹿島神社 杉妻区史跡保存会 鳥谷町会有志 」とあります。
鹿島神社の創建は不詳ですが、平安時代に編纂された「続日本紀」に延暦元年(782)陸奥国の鹿島神に祈祷が行われた旨の記載があり、この鹿島神が当社とする説があります。又、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された鹿島神社の論社でもあり、これが事実とすれば古くから格式の高い神社だった事が窺えます(福島市周辺には数軒の鹿島神社が鎮座していて、それぞれが延喜式内社を称しています)。
江戸時代に入ると福島藩(藩庁:福島城)の藩主である板倉家から篤く庇護され、武運長久が祈願されたり享保8年(1722)に板倉勝里が藩費を使い社殿を造営するなど度々営繕工事が度々行われています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治8年(1875)に村社、明治29年(1886)に郷社に列しています。
現在の鹿島神社社殿は昭和50年(1975)火災で焼失した後の昭和51年(1976)に鉄筋コンクリート造で建替えられたもので、拝殿は鉄筋コンクリート平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、正面1間向拝付き。本殿は一間社流造、銅板葺き。
当時は鬱蒼としていた社地も切り取られたのか、参道と社殿周辺のだけのようです。鎮座地である「鳥谷野」は歌枕の地でもあり、境内には続古今和歌集に収録された中務卿親王の歌「みちのくの信夫の鷹の鳥谷ごもりかりにもしらじ思ふ心は」の歌碑が建立されています。祭神は武甕槌命。
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鹿島神社:上空画像
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-鹿島神社・杉妻地区史跡保存会・鳥谷野町会有志
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