高湯温泉概要: 高湯温泉(福島県福島市)の開湯は諸説あり一説には慶長12年(1607)、宍戸五右衛門(庭坂二子塚出身・信夫屋旅館の祖:現在のあったの湯)により開発されたとも、又、一説には同年に菅野国安(伊達家旧家臣)により開発されたとも云われています。ただし、温泉の発見は天文年間(1532〜1555年)とされ戦国時代には湯税を払ったことが記録として残っています。
江戸時代に入ると福島代官所の支配となり特に池田新兵衛が代官になると湯守の3家制(安達屋・吾妻屋・信夫屋)、湯役税の廃止、高湯道の改修、湯小屋の改修などの改革が行われ、飛躍的に湯治客が増えました。
湯守に抜擢された安達屋・吾妻屋・信夫屋は薬師堂を建立した他、池田新兵衛の功徳に感謝し境内に顕彰供養碑を建立しています。
幕末の戊辰戦争の際には新政府の進軍により自領に引き上げる米沢藩(藩庁:米沢城)が拠点になる事を恐れ火を放ち多くの湯屋が焼失しています。
さらに明治15年(1882)には福島県令となった三島通庸が高湯温泉を廃して、庭坂村に新たに温泉地を計画した為、任期が切れ計画が頓挫するまで開発出来ませんでした。
古くから白布温泉(山形県米沢市)、蔵王温泉(山形県山形市)と共に奥州三高湯に数えられ、昭和8年(1933)には神林博士の調査により全国一の有効温泉との結果を受けました。平成11年(1999)に国民保養温泉地に指定されています。
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