高湯温泉・土湯温泉・岳温泉
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高湯温泉
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[ 高湯温泉:温泉街 ]
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高湯温泉(福島県福島市)は戦国時代の天文年間に源泉が発見され、江戸時代に入り温泉場として整備されました。標高750mの高所で功能にも優れている事から蔵王温泉(山形県山形市)、白布温泉(山形県米沢市)と共に奥州三高湯に数えられました。数軒の温泉宿があり吾妻小富士周辺の登山やトレッキングをする人達にも利用される為、宿毎には賑わっているものの、御土産屋や飲食店が軒を連ねるような温泉街は形成されておらず、はっきりとした町並みも見られません。
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土湯温泉
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[ 土湯温泉:温泉街 ]
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土湯温泉(福島県福島市)は神話の時代に大穴貴命により発見されたと伝わる古湯で、その際、鉾で地面(土)を突き(つき=つち=土)つけ、そこから霊泉が湧き出た事を名称の由来としています。江戸時代には福島城の城下と会津城の城下を結ぶ会津街道(土湯街道)の宿場町的な役割があった事から比較的町並みもしっかりした印象を受け、土湯温泉出身の俳人による「温泉八景(土湯八景)」が選定され景勝地としても知られています。10数軒の温泉宿だけでなく飲食店や足湯(土ゆっこ・月の湯ぶじぇ・かじかの湯・下ノ湯)なども充実し温泉街らしい雰囲気を持っています。御土産としても知られる土湯こけしは鳴子こけし(宮城県大崎市鳴子温泉)、遠刈田こけし(宮城県刈田郡蔵王町)と共に日本三大こけしのひとつに数えられています。
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岳温泉
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[ 岳温泉:温泉街 ]
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岳温泉(福島県二本松市)は何時頃に発見されたのかは不詳ですが平安時代に朝廷により編纂された「日本三代実録」に貞観5年(863)に陸奥国小結温泉神が従五位に列した事が記載され、この小結温泉神は岳温泉の守護神と考えられる事から少なくとも平安時代には温泉地として知られていたと推定されています。その後は火山活動や土砂災害、火災などで度々大打撃を受け、その都度、場所を変えながら現在地に至っています。最盛期は江戸時代に二本松城の奥座敷の温泉街として整備された時で、藩主の御殿をはじめ、湯女を許される湯宿が軒を連ね水戸黄門も湯治に訪れたとの伝承も残っています。その後も災害により移転を繰り返し現在地での温泉街の建設は明治39年になってからで温泉街も比較的近代化された印象を受けます。
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