松平忠弘:概要

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概要・歴史・観光・見所
松平忠弘(龍蔵寺)

【 概 要 】−松平忠弘は寛永8年(1631)、松平忠明と三好氏の娘との子供として生まれました。正保元年(1644)、忠明の死去に伴い家督を継ぎ姫路藩(兵庫県姫路市)18万石の藩主に就任、その際、弟である松平清道に3万石を分知し姫路新田藩を立藩しています。姫路藩は重要地で忠弘はまだ若年だった事から慶安元年(1648)に山形藩(山形県山形市)15万石に移封となり、寛文8年(1668)に宇都宮藩(栃木県宇都宮市)、天和元年(1681)に白河藩(福島県白河市)に移封となっています。

松平忠弘の嫡男である松平清照は病弱だった事から廃嫡となり、天和元年(1681)に次女である長福姫に唐津藩(佐賀県唐津市)7万石の藩主松平乗久の嫡子松平乗守(忠尚)を婿養子として迎えました。天和3年(1683)清照に子供(忠雅)が生まれ、元禄元年(1688)に忠弘の養子として忠雅が認められた事から松平忠尚の存在が極めて不安定な立場となり、堪忍分新田2万石が与えられ白河新田藩が立藩しました(白河新田藩といっても領地には陣屋が無く忠尚は小峰城に居したと思われます)。

しかし、家臣団が忠雅派と忠尚派に分断し対立を始め、その激しさが幕府まで聞き及ぶ事になり元禄5年(1692)に忠弘と忠尚が閉門逼塞が言い渡されました。その後、忠弘は隠居、忠雅は家督が認められたものの5万石が減じられ山形藩10万石に移封となっています。

松平忠弘の白河藩の実績としては元禄4年(1691)には領内の真言宗寺院を統率した龍蔵寺に銅鐘(奥州白河いぼなしの鐘:国指定重要文化財)を寄進しています。元禄13年(1700)死去、戒名:楞伽院殿前四品拾遺端翁道厳大居士。

龍蔵寺:写真
松平忠弘と縁がある龍蔵寺 松平忠弘と縁がある龍蔵寺 松平忠弘と縁がある龍蔵寺 松平忠弘と縁がある龍蔵寺
小峰城:写真
松平忠弘と縁がある小峰城(白河城) 松平忠弘と縁がある松平定賢と縁がある小峰城(白河城) 松平忠弘と縁がある小峰城(白河城) 松平忠弘と縁がある小峰城(白河城)



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