九山禅師の墓(福島県・土湯温泉)概要: 九山禅師は直江兼続(上杉家執政)と宇都宮でお目見えすると上杉家と関係を深め、上杉家の援助の下、足利学校(栃木県足利市:当時の日本の中では最高学府)で学問を深めました。元和4年(1618)、米沢城下に禅林寺(現在の法泉寺)を創建した際、兼続は九山禅師を呼び寄せ学問所である「禅林文庫」の開設や京都の天竜寺の庭園を模した庭園を作庭しています。その後、土湯にある興徳寺を隠居寺として土湯での布教に努め寛永13年(1636)に死去し亡骸が現在の土湯小学校西側の高台に奉られました。
|
|
|
|