飯盛山(歴史)概要: 飯盛山(314m)は古くは弁天山と称し、会津鎮護だった宗像神社(厳島神社)が鎮座した山です。宗像神社は歴代の領主から崇敬され、別当だった正宗寺のさざえ堂(国指定重要文化財)は西国三十三観音が祀っていたこともあり民衆からも広く信仰されてきました。
戊辰戦争の際は飯盛山背後にある戸ノ口原の戦いで敗戦した白虎隊が戸ノ口堰洞穴を抜け撤退した場所で、飯盛山から鶴ヶ城(会津若松城)が燃えていると錯覚し(実際は鶴ヶ城付近の武家屋敷が火災にあっていた。)この場で自刃したことでも知られています。
白虎隊は主に10代の少年が主流となった部隊で、当初は40名で組織されましたが戸ノ口原で銃撃戦となり20名が戦死、残りの19名が飯盛山で自刃し、飯沼貞雄ただ1人が自刃したが傷が浅く助け出されました。
新政府軍は会津藩側の戦死者の埋葬を禁じていましたがその後許され明治17年に自刃の地、飯盛山中腹に白虎隊19士の墓(後、31士の墓を建立)を建てました。その後、参拝者が多くなるに従い飯盛山周辺が整備され現在では会津若松市有数の観光地になっています。
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【 参考:文献等 】
・ ふるさとの文化遺産-郷土資料辞典7[福島県]-株式会社人文社
・ 日本の城下町2[東北(二)]-株式会社ぎょうせい
・ 現地案内板-福島県教育委員会
・ 現地案内板-財団法人会津弔霊義会
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